能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

春栄さらにつづき

シテと春栄の掛け合いの謡から、地謡が二人の心情、さらにその場の人々も感じ入った様子を謡います。
ワキも感激し、宇治橋の合戦で亡くなった自分の子と春栄が生き写しであり、春栄に自分の跡を継がせたいと語ります。しかし「や、何と申すぞ」と幕を向いて立ち、鎌倉から急の知らせがあった様子で、囚人は全て処刑せよとの命があったことを伝えます。

これにシテは、春栄の代わりに自分を処刑してくれと言いますが、それは許されないことであり、ならば春栄とともに自らも処刑に臨むとして、ツレに故郷への使いに発つよう命じます。

こうした活劇主体の曲の常として言葉でつないでいく形のため、観能記も「言った」「伝えた」ばかりになってしまいますがご容赦を。また言葉主体の曲では流儀による詞章の違いが大きくなりがちですが、この曲も昨日もちょっと触れたように各流でずいぶんと詞章が違っています。

クドキでは詞章に沿って、シテが守を懐中から出してツレに渡し、子方は文をツレに渡します。これらを預かったツレは、そのまま橋掛りを進んで幕に入ります。

クリ、サシ、クセと謡が続き、死を覚悟したシテの心中、人の生死と仏法の教えなどが謡われます。
クリ、サシからクセの前半までは、仏法を基礎に置いて、生きとし生けるものすべて生死流転を繰り返す様から、人間界に生まれれば八つの苦しみを逃れないと、無常観が謡われています。

クセは居グセですが、生きとし生けるものの輪廻の苦しみに続いて、仏法は東に伝わると言い、その東路の三島明神は本地は大通智勝仏、なにとぞ自分たちを照らし給えと謡われます。シテの上げ端「処を思ふも頼もしや」の後、「伊豆の国府、南無や三島の明神」からのところは、いわゆる蘭曲の「東国下」の最後の部分です。
このあたりの話はもう一日つづきます。
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