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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

忠度 井上貴覚(座・SQUARE第9回公演)

金春流 国立能楽堂 2006.7.17
 シテ 井上貴覚、ワキ 殿田謙吉
  アイ 榎本元
   大鼓 亀井広忠、小鼓 観世新九郎
   笛 一噌隆之


修羅能は現行では二十曲を少し下回る曲数ですが、その中でも平家の公達を主人公として趣深い曲の一つ。和歌に造詣が深く、藤原俊成卿の弟子でもあった忠度を主人公にしているだけに、主題も和歌をめぐったものになっています。


まずワキ、ワキツレが登場し、自らは藤原俊成に仕えていた者だが卿と死別し出家した旨を述べます。そして西国行脚のため須磨の浦に至ったと着座をするわけです。
そして前シテの出。浦の老人の体ですが、なにやら由ありげにある様子。山陰の一本の桜に持ってきた小枝を捧げます。
各流とも桜の作り物は出しませんので、桜の木があるつもりで枝を置く形になります。正先ではなく目付のあたり。やや柱に近いあたりに下居して枝を置いての合掌でした。


この桜の木は亡き人のしるしということで、ワキ僧たちとの問答になります。
この曲の主題の歌「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が、早い時点で紹介され、この歌とその作者である平忠度を巡って物語が展開することが明らかにされます。主題がこんなに早い段階で明らかにされるのは割合に珍しいように感じます。
前場でシテがこの歌を唱え、ワキも受けて再度唱えて「詠めし人は薩摩の守」と明らかにしますね。


井上さんの能は何度か拝見していますが、前シテもなかなか趣深い演技。謡は老人にしてはいささか強いかなという感じがしないでもありませんでしたが、深みのある良い謡と感じました。


ワキは僧ですが、そもそも俊成ゆかりの者と名乗っていますし、見所に時間をかけて想像させるよりも、よりストレートにイメージを膨らませる方を選んだという演出なのかも知れません。
しかもシテは「御僧に弔われ申さんとて、これまで来たれり」と、自らが忠度の霊であることを明らかにして中入りとなります。・・・つづきは明日に

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