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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

高野物狂 高林白牛口二(喜多流自主公演能)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2010.05.23
 シテ 高林白牛口二、子方 井上大風
  ワキ 福王和幸、アイ 野村扇丞
   大鼓 安福光雄、小鼓 鵜澤洋太郎
   笛 寺井久八郎

以前、何かの観能記に、物狂いというのがどうも感覚的に分からないという話を書いた記憶があります。気が触れて、というのとも違うようだし、能には少なからず物狂の曲がありますが、中世の人達との世界観の違いを感じるところです。

この高野物狂はそうした物狂の曲の内でも、亡き主君の遺児と生き別れ、その行方を尋ね歩く内に物狂になってしまったという、いささか珍しい設定の物狂ものです。

幼君春満を尋ね歩き、最後は高野山で僧の弟子になっている春満と出会うのですが、ワキ僧の諭しもあり、これを機縁にシテも出家するという形です。
・・・って、再会を果たしたシテは春満の供をして、二人古里に帰るという話だったのでは?
そうなんです。観世流では弘法大師の恵か、目出度く春満は古里に帰って平松の苗字を継ぐことになりますが、喜多流ではシテも出家してしまいます。というか、観世以外の各流ともシテが出家する形のようで、例によって観世流だけが結末を直してしまったということのようです。(以前にも書いた元章の明和改正らしいのですが)

というわけで、観世流とはかなり違った印象の曲になりますが、どちらの形も相応に納得感はあります。古里に帰ってハッピーエンドで終わって欲しいというのは、武家の立場を考えればもっとものことでしょうし、一方、物狂が覚めてこれを機縁に出家したというのは、後世を願う中世の感覚からすればもっともな展開と思われます。
というわけで、曲の流はまた明日に
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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