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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

錦木さらにつづき

ワキもしゃれた答えと思った様子で、錦木細布は恋路をめぐる謂われがあるのかと納得し、シテ、ツレが掛け合いで答え、地謡「錦木は 立てながらこそ朽ちにけり けふの細布 胸合わじとや」が謡い出されます。
ツレはこの地謡が一句謡われるとシテの後を回って笛座前に下がり、シテは地謡に合わせて正中から前へ出、一度「歌物語恥ずかしや」とワキに向き、さらに舞台を廻って地謡の終わりに常座に立ちます。

ワキはあらためて錦木細布の謂われを語って欲しいと求め、シテは「語って聞かせ申し候べし」と答えて正中に出て下居、錦木を置いて扇を取り出し語りになります。
シテの語りでは、昔からこの地では、男が錦木を作ってこれぞと思う女の門に立てると、女は逢うと思う男の錦木を取り入れ、逢わないと思う男の錦木は取り入れないという習があったと明かされます。
ところが三年百夜、錦木が千束を数えるまで通い続けて憤死した男がいて、この亡骸と千束の錦木を築きこめて錦塚とした謂われが語られます。

先ほどの地謡「錦木は」の歌は、後拾遺和歌集にある能因法師のもので11世紀初頭の頃の歌と思われます。この歌では錦木を千束まで立てたのかどうかは触れられていませんが、その後、11世紀末から12世紀初頭には千束の錦木が詠み込まれている歌が出てきますので、古くから千束の錦木の伝説はあったようです。

鹿角にはこの千束の錦木、錦木塚についての悲恋物語が伝えられているそうで、推古天皇の頃のこととも言われているようです。千日にわたって錦木を立て続けた若者と、細布を織っていた娘。娘の父親が身分の違いから錦木を取り入れるのを許さなかったとも、娘が願をかけて細布を織っていて錦木を取り入れることが出来なかったとも伝えられているようです。
もっとも一説には、この千束の錦木が、深草少将の百夜通いの影響で出来上がった話ではないかという説もあり、推古天皇の頃から伝えられた伝説・・・というのは微妙なところですが。

さて、ワキはこのシテの語りを聞いて、その錦塚を教えて欲しいと頼み、シテ、ツレが立ち上がってワキを誘うような形から地謡。
謡に合わせてシテは作り物の塚を見込み「錦塚はこれぞと言い捨てて 塚の内にぞ入りにける 塚に入りにけり」でシテが塚に入って中入。ツレは後見座にクツロギます。
このつづきはまた明日に
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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