能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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実盛のつづき

ワキがシテ老人に「いかに翁」と声をかけます。下掛りだと「御前に候」とシテの返事が入る所ですが、ここはワキの詞が続きます。ワキは老人が毎日やって来るので志ある人と思うものの、その姿が余人に見えないために誰と話をしているのかと皆が不審がっている。どうか名を名乗るようにと求めます。

これに対するシテの返事からのシテワキのやり取りは、なかなかに面白いところです。何度も名乗るようにと催促するワキに、シテは周りの人を退けてくれるようにと求めます。ワキが応じると、シテは一度立ち上がって正中へと進んで下居し「昔長井の斎藤別当実盛は、この篠原の合戦に討たれぬ、聞こし召し及ばれてこそ候ふらめ」と話し始めます。

ワキは、(実盛は)隠れもなき名将だが、その物語ではなく名を名乗るようにとさらに急かします。しかしシテは、その実盛がこの前の池水で鬢髭を洗い、その執心が残るのか今もこの辺りの人には(実盛の姿が)幻のように見えるそうだと答えます。
しかとは言わず、はぐらかすようなやり取りのうちに、ワキはシテが実盛の幽霊と気付いて問いかけます。これを受けてシテが「我実盛が幽霊なるが、魂は冥土にありながら、魄はこの世に留まりて」と、実盛の霊であることを認めます。

余談になりますが、ご承知の通り中国では霊を「魂(コン)」と「魄(ハク)」とに分けて捉えていて、「魂」は言わば精神を支える気、「魄」は肉体を支える気と言った分け方をされています。道教の考え方がもとにあるのでしょうけれども、現代中国人がどう考えているのかはわかりません。
ともかくも、魂があの世に行ってしまったのに、肉体を支える魄がいまだ現世にあるのは、執心から思いが残り肉体の名残のあるこの世に留まり続けているからなのでしょう。魄の字は文字通り白骨死体を意味している訳ですが、朝長の一節にも「魂は善所におもむけども、魄は修羅道に残つてしばし苦を受くる」とありますね。

さて自ら実盛の幽霊であると明かしたシテは、腰を浮かせつつワキを向き「顕れ出でたる実盛が名を洩らし給ふなよ」とワキに念を押す形。立ち上がると右に回り、常座で「行くかと見れば篠原の」と振り返って正を向き「池の辺にて」と正へツメ、下がって「幻となりて失せにけり」とあらためて中入り。
この日は送り笛がなく、無音の中をシテが静かに中入りしました。松田さんは、以前書いたようにシテの求めがあれば、森田流ながら送りを吹かれるのだそうですが、この日の中入はこれはこれで素晴らしい緊張感でして、銕之丞さんらしい後場を期待させる演技でした。
明日につづきます
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