能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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国栖 観世銕之丞(銕仙会定期公演)

国栖 観世銕之丞
 白頭 天地之声
観世流 宝生能楽堂 2012.03.09
 シテ 観世銕之丞
  前ツレ 清水寛二、後ツレ 観世敦夫
  子方 長山凜三
  ワキ 森常好
  アイ 山本則重、山本則秀
   大鼓 柿原弘和、小鼓 曾和正博
   太鼓 観世元伯、笛 藤田貴

国栖はこのブログ初登場の曲です。大友皇子に追われて天武天皇が吉野の山中に逃れ、国栖の地で老夫婦に出会い助けられるのが前場。後場では天女、蔵王権現が姿を現し、天武天皇の御代を寿ぐという展開になっています。

この曲はなぜか観世流のみ、浄見原天皇すなわち天武天皇や、大友皇子の名を伏せています。天皇は「やごとなき御方」あるいは「よしある御方」などとされ、大友皇子は「御伯父なにがしの連」などとされています。
この日は特別に、古い詞章の形、他流と同じ浄見原天皇、大友皇子の名を出す形で演じられました。銕仙会のリーフレットには「戦時中に改変される以前のものにもどして」とありましたが、明治43年観世清廉訂の観世流謡本など、明治期の本でも「やごとな記御かた」などと表記されていますので、もっと古い時代に名を伏せられたのだろうと思います。

また上に記載のとおり、現行の観世流の本では大友皇子を「御伯父」と書き、他流でも大友皇子を浄見原天皇の伯父としていますが、日本史の授業を思い出して頂ければお分かりの通り、まったく逆の話で、天武天皇は大友皇子の父である天智天皇の弟ですから、天武天皇の方が叔父にあたります。壬申の乱の話ですが、この辺りの整理は不思議なところです。(もっとも天武天皇が天智天皇と本当に兄弟だったのかどうか疑問という説もありますが・・・)
また大友皇子は現在では弘文天皇と諡号され、日本史の授業でもそう習った記憶があります。しかしこの諡号は明治になってから追号されたもので、天皇として認められるようになったのも明治初年のこと。少なくとも江戸時代までは天皇とはされていませんでした。
なお、多くの謡本では「清見原天皇」と表記していますが、この項では、より一般的な「浄見原」の表記を用いました。天武天皇を祀る吉野の浄見原神社もこちらの表記です。飛鳥浄御原宮の表記がまた微妙に異なるのは気になるところですが・・・

さて舞台の展開は明日からということで・・・
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