能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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水掛聟 野村万作(喜多流職分会自主公演能)

和泉流 喜多六平太記念能楽堂 2012.05.27
 シテ 野村万作
  アド 深田博治、村井一之

この水掛聟は19年6月に高澤祐介さんのシテで観た際の鑑賞記(鑑賞記初日月リンク)を書いています。今回は万作家の上演で、高澤さんの時と同じ和泉流三宅派ですし基本的に同じ展開でしたので、気付いたことなど書くにとどめ、筋を追うのは省略させていただきます。

まず高澤さんの上演の際は、シテが高澤さんで、三宅右近さんがアド、右矩さんが小アドの配役。もちろんシテの高澤さんが聟役で、アド右近さんが舅、小アド右矩さんが女になります。で、今回はというと、シテ万作さんが舅でアド深田さんが聟、小アド村井さんが女という配役でした。当日の番組にもシテ野村万作、アド深田博治とキチンと書かれていますが、シテとアドの配役が逆になっています。
どうも狂言のシテ、アドというのは、能に比べるとあまり厳格なものではない様子で、時々、シテとアドの配役が逆になっている例に出くわしますが、これは本来はどうなのでしょうか。大正年間に出版された山脇和泉氏編纂、実際は十六世元清が編纂を開始し、早世した十七世元照の遺作となった和泉流狂言大成では、シテ聟、アド舅、小アド女(シテの妻)とされているようですが・・・

それにつけても記憶というのはいい加減なものだと思ったこと。
私、舅も聟も、お互いに自分の所有する田が隣同士なのに気付いていなかったのだと思い込んでいたのですね。ところが、よく台詞を聞いてみると、先に登場した聟は単に隣の田に水が取られていると腹を立てるものの、それ以上の説明はありませんが、後から出てくる舅は「隣の聟の田には水が満々とある」と言い、隣が聟の田であることを知っていることが明らかです。
あれぇ、と思って以前の鑑賞記を調べてみると、舅が「隣の聟の田には水があり、これはいけないと鋤で畦を」もとのように戻してしまったと書いてあります。こう書いたのに、どこで思い込んでしまったことなのか。もちろん上にふれた和泉流狂言大成でも、最初の場面での聟の台詞には、隣の田の所有主の話は出てきませんが、舅の台詞には聟の田と明記されています。

いやあ、こんなこともあるんだなあと、しみじみ思った次第でした。
(20分:当日の上演時間を記しておきます)
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