能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

雲雀山もう一日のつづき

サシからクセと、古歌を引いた詞章がつづき、シテが姫の不遇な様子、雲雀山に隠れ住む子細を謡い舞いして中ノ舞。
クセの舞は仕舞でも取り上げられることの多いところですが、なかなかに味わいのある部分。松井彬さんの能はあまり拝見する機会がありませんが、端整な芸風で好感の持てる舞姿です。中ノ舞ももう少し舞が続いてほしいと思うような、味わい深いもの。

この謡い舞いで、ワキ豊成が侍従に気付いて、中ノ舞を舞上げて一ノ松に進んだシテに声をかけます。
ここからシテとのやり取りで親子再会へといたり、子方中将姫の隠れる藁屋の戸をシテが開けて、子方をワキに引き合わせます。
二人を引き合わせたシテは正中に下がって控え、ワキ、子方が先に退場すると、その姿を追うようにシテが常座で見送り終曲となりました。

ところで中将姫。伝説は最初に書いた通りですが、なぜ中将姫と呼ばれるのか、これにはいくつかの説があります。八、九歳の頃、節句の宴の際に孝謙天皇の御前で見事に琴を弾き三位中将の位を授かったとも、十三歳の時に中将の内侍になったともいわれています。いずれにせよ伝説上の人物ですし、本当のところは分からないということでしょう。
ちなみに女性である孝謙天皇の御代に藤原仲麻呂が台頭し、豊成はその勢いに左遷されて都を離れ、中将姫が身を隠すきっかけとなったという説もあります。また母光明皇太后の病気のために一度退位した孝謙天皇が、淳仁天皇の後に再び位に就き、称徳天皇として道鏡の専横を許したものの、天皇の崩御によって道鏡が失脚した一連の事件は、日本史の教科書にも出てくる有名な事件です。

また、雲雀山に隠れ住んだ中将姫は、その地の藤村家に身を寄せ、婦人病に効果のある秘薬を藤村家に伝えたという話もあります。この藤村家出自の母を持つ津村重舎が、明治初年にこの家伝薬を「中将湯」として日本橋で売り出し、「中将湯本舗津村順天堂」の看板を掲げました。これが現在も漢方製剤の会社として続いている株式会社ツムラの起源となっています。また「津村順天堂」が売り出した日本初の入浴剤「浴剤中将湯」は、後に内容を大きく手直して名前を変え、現在は製造元も別の会社となっていますが「バスクリン」として商品は健在です。
(76分:当日の上演時間を記しておきます)
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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