能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

松浦佐用姫のつづき

間語りでは、まず辺りの名所などをあげます。
まずは玉島川、松浦の里を流れるために松浦川ともいわれる川で、昔、神功皇后がこの川で手ずから鮎をとられた川であると示します。また続いて鏡山を上げ、これも神功皇后が山の頂に鏡を埋めて戦勝を祈らせたために鏡山とされた由来を語ります。

続いて人皇二十八代宣化天皇の御宇に大伴狭手彦が遣唐使となった際の話に移ります。狭手彦はこの地まで来て唐土に渡ろうとしますが、波風が強くしばらく逗留せざるを得なくなります。
この地の長者の娘である佐用姫は容顔美麗な方でしたが、この時に、帝のお使いのつれづれを慰めようとして、狭手彦のもとに通いかりそめの契りを結びます。佐用姫は誠を尽くし、狭手彦もその気持ちを受け止めての日々が続きましたが、やがて順風が吹き狭手彦は遣唐使の務めとして海を渡ることになります。

佐用姫は狭手彦と別れ難く唐土について行こうとしますが、狭手彦はこれを許さず佐用姫を残して船出します。
佐用姫は肩に掛けた領巾(ひれ)を振って招きますが、船が戻ろうはずもなく海原を遠ざかっていってしまいます。佐用姫は紅の涙を流し、そのままそこにて亡くなってしまったとか。今も領巾山には女房の領巾を振り転ぶ姿の石があり、これこそ佐用姫が石になったものと伝えられている、という語りです。

大伴狭手彦は宣化天皇二年に新羅遠征に赴いたといわれており、この際の話と思われますが、宣化天皇二年は537年、唐が建国するのは618年ですから「遣唐使」はいくらなんでも無理ですね。とは言え、こうした混同は能では割とよくあることですので、あまり気にせず、舞台の方に進みたいと思います。

まずは次第でワキ僧の出。柿色の水衣に着流し、角帽子の旅僧姿のワキ舘田さんが出て常座で次第を謡います。次第の後は名ノリ。行脚の僧であるが、東国から都に上り、さらに西国修行と志して筑紫に下って博多に逗留した。肥前国松浦潟は聞こえた名所なので、これから急ぎ尋ねようと述べます。
「これは行脚の僧にて候」という名ノリは寡聞にして聞いたことがありません。通常は「諸国行脚の」とか「諸国一見の」とか言いそうなものですが、こちらの方が古い形なのかも知れません。常々は観世の謡本と異なるところの多い下掛り宝生流のワキですが、今回は世阿弥自筆本をもとに復曲された曲のためか、舘田さんの謡う詞章も謡本の通りです。
明日につづきます
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