能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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松山天狗またつづき

間語りを踏まえていささか解説すると、そもそもこの能は讃岐国に配流された崇徳院の御陵を西行が弔いに訪れるというのが発端です。
崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子ですが、実は鳥羽天皇の祖父にあたる白河法皇と、鳥羽天皇の中宮待賢門院の不義の子であったと言われていて、白河法皇の存命のうちは鳥羽天皇もはばかって崇徳天皇に位を譲り上皇となったものの、法皇が亡くなると関係も悪化していきます。鳥羽院は崇徳天皇に譲位を迫り、天皇の第一皇子重仁親王ではなく、上皇が寵愛する美福門院の子である体仁親王を位に就けます。これが近衛天皇です。

しかし近衛天皇は病弱で在位13年で崩御、後継をどうするかが問題になりました。崇徳院は今度こそ重仁親王が即位することを大いに期待しますが、院の弟に当たる雅仁親王が即位してしまいます。後白河天皇です。間語りで第四皇子と言われているのがこの体仁親王すなわち近衛天皇のことか、雅仁親王すなわち後白河天皇なのか、うまく聞き取れませんで分かりませんでした。

さてこの翌年、鳥羽院が崩御するとにわかに動きが出てきます。左大臣藤原頼長は時の関白忠通の弟ですが、父忠実の寵愛深く氏長者の地位についています。当然、忠通とは不仲ですが、忠通の推薦した後白河天皇が即位し、極めて立場が悪くなってしまいます。
しかも近衛天皇の崩御は忠実・頼長親子の呪詛のせいだという噂が流れ、なにがしかの動きを取らざるを得なくなっていました。

頼長(シャベリでは通り名であった宇治の悪左府ですが)は崇徳院側に立ち、六条判官こと源為義やその子為朝、平忠正などを集め気勢を上げますが、保元元年7月11日、天皇方は関白忠通(シャベリではモトミチと聞いたのですが)の命によって、為義の子義朝や忠正の甥にあたる清盛などが兵を率い、院を急襲して謀反を鎮圧します。いわゆる保元の乱の次第です。

崇徳院は7月23日讃岐へ配流されていますがシャベリでは8月となっていたように聞きました。ともかく配流されてからの院は、シャベリの通り大乗経を仁和寺に納めようとしたものの、天皇の意向で拒否されて大いに怒り、生きながら天狗のようになった言われています。一節には白峰の天狗相模坊は院自身の変わり果てた姿であるとか。

さて間狂言が退場すると、出端の囃子が奏されて作り物の内より後シテ崇徳院の霊が謡い出します。
このつづきはまた明日に
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