能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

海士もう一日のつづき

早舞を舞上げたシテは右手を差し出し、この経の徳用にて龍女も成仏、讃州志度寺は法華八講により仏法繁昌の霊地となったと謡われるなか終曲となりました。

さてこの項の初日にもどって、なぜここで龍女が出てくるのかという辺りをめぐって、少しばかり思う所を書いておこうと思います。

そもそも往時の仏教では女性は成仏できないとされていて、成仏するためには一度男子に生まれ変わらなければならない、いわゆる変成男子の考え方が前提となっていた・・・というのは、この曲の解説などでもよく見かけるところです。
また龍女は、法華経提婆達多品にある娑竭羅龍王の女の話が元になっており、八歳でありながら智慧利根、よく仏の教えを解して成仏に到ったという話です。そこで、そのままでは成仏できない海女の霊が、龍女に生まれ変わることによって成仏を得たと、そういう作りになっているのだろうと思います。

これはこれで納得いく話ではありますが、さて振り返って、能には様々な執心を持った、様々な女達がシテとして登場してきますが、多くは後場で生前の姿をもった幽霊として現れ、ワキ僧の供養を受けて成仏していきます。
この成仏の過程で、男子に生まれ変わったり、龍女に変ずるなどという話は、どうも聞いた記憶がありません。
今、一番一番を確かめているわけではないので、海士以外にもそうした曲がありそうな気もしますが、ともかくもメジャーな展開ではないと思うのです。

なぜ龍女でなければならなかったのか、かつまた、この龍女は成仏しているのか、これから成仏する所なのか、今ひとつすっきり腑に落ちてこないのです。
海士であるということが、殺生と結びつき、女であることに加え殺生に至る罪科から、そのままの姿では成仏できないのだ、と、そういう解釈なのかも知れません。

書き出してはみたものの、やはりよく分からないというのが現状です。この曲に様々な小書のバリエーションがあるのも、そうした状況の現れかとも思います。まあ、こんなことを考えながら、観てみるのも楽しいといえば楽しいですし・・・

附け祝言は淡路。治まる国ぞ久しき・・・と、乱高下する金融市場など今の世相にも相応しい祝言かも知れません。
(96分:当日の上演時間を記しておきます)
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/1900-b536ae37

 | HOME | 

カレンダー

« | 2017-09 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad