能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

「頼政」をめぐって

鑑賞記自体は昨日の分までで終了ですが、頼政をめぐって少しばかり書いてみようと思います。

頼政は摂津源氏で、かの頼光の玄孫、頼光を入れて五代目になります。この日の三曲目が頼光の登場する「土蜘蛛」であったのも、何かの縁なのかも知れません。

今更ではありますが、源氏は臣籍降下の際に与えられる姓の一つですから、醍醐天皇を祖とする醍醐源氏や、村上天皇からの村上源氏、宇多天皇からの宇多源氏など、数多くの系統があります。
その中でも、後世「源氏」と言えば清和天皇の孫にあたる六孫王経基の子孫が最も有名で、八幡太郎義家も、鎮西八郎為朝も、そして頼朝、義経も、皆この系譜です。清和天皇の子孫にあたるので「清和源氏」ということになりますが、清和天皇の子孫では、子にあたる4人の親王と、孫にあたる12人の王が臣籍降下して源を名乗っているのだそうで、経基の系譜以外にも多くの清和源氏がいたことになります。

さて経基の嫡子満仲は、摂津国多田荘に土着し多田満仲(ただのみつなか ただのまんじゅう)と呼ばれます。その嫡男が頼光。「よりみつ」が読みですが「らいこう」と呼ばれることが多いようです。頼光をめぐっては様々な伝説もありますが、頼光の話は後ほど「土蜘蛛」の鑑賞記の際に触れたいと思います。

満仲には多くの子がいますが、三男の頼信は河内国古市郡壷井を本拠地とし、この系譜は「河内源氏」と呼ばれます。頼信の後は嫡男の頼義が継ぎ、さらにその嫡男、八幡太郎と称される義家まで、三代にわたって隆盛を極めます。しかしこの家は、どうも身内で争う傾向があるようで、義家の跡は三男義忠が継ぎますが暗殺され、義家の長男である義親の四男とも、義家の子で義忠の弟にあたるとも言われる為義が跡を継ぎます。この義忠の暗殺は叔父にあたる新羅三郎義光の陰謀と言われています。
為義は長男義朝と対立し、保元の乱で崇徳上皇側に付きますが敗れ、後白河天皇側に付いた義朝によって斬首されます。頼朝や義経は、その義朝の子ですね。

河内源氏が親子入り乱れて戦乱の中に突入していったのに対し、摂津源氏の方は一族結束していたようで、その長老として中心的な立場にいたのが頼政ということになりますが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/1952-83952a92

 | HOME | 

カレンダー

« | 2017-09 | »
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad