能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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年末近くに・・・2

あのとき、観世流のみならず金春や喜多の謡本なども確認したのですが、下掛宝生の謡本までは手が回りませんでした。
そこで今回落ち着いて探してみると、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに昭和8年発行の下掛宝生流謡本刊行会による「湯谷」があるのを見つけました。著作者は宝生新で、ワキの台詞はこれまた「平の宗盛なり」です。
漱石が亡くなった大正5年から17年ほど経っていますし、「猫」が書かれてからだと28年ほどの時間が流れていますが、だからといってこの間に「候」から「なり」に変更されたとは思い難いところです。漱石もやはり「宗盛なり」と稽古したのだろうと考える方が、妥当に思えます。

となると「吾輩は猫である」の方ですが、この作品は明治38年に俳句雑誌「ホトトギス」に掲載されたのが初出です。さすがにこれは見つかりませんでしたが、同じ明治38年の10月6日発行の奥付がある大倉書店刊「吾輩ハ猫デアル」で、「矢張是は平の宗盛にて候を繰返して居る」と記載されているのを確認しました。

やはり謡本は「宗盛なり」で、小説は「宗盛にて候」ということのようです。
となると、漱石が間違えたか、それとも意識してそう書いたのかということになりますが、私は漱石が意識してそう書いたと考えた方が楽しそうだなぁと思っています。

以前にも書きましたが、口の中で転がしてみると「是は平の宗盛なりを繰返している」よりも「是は平の宗盛にて候を繰返している」の方が、なんだかおさまりが良い感じがするのです。
漱石の心の内を想像してみるのも、ちょっと面白いかと思っています。

実は5年程前のコメントのやり取りを読み直してみまして、さほどトガった感じにはなっていなかったので、正直ホッとしています。ですが、自分の記憶としては「反論する」的な書き方をしたように思っていました。たぶん余裕を無くしていたのでは・・・と思います。
今回、いたく反省しているのは「余裕を失っていたかもしれない」ということです。
個人の趣味として楽しみで書いているのが、自分の機嫌を悪くするタネになってしまっては仕方ないという思いです。
のんびり、楽しく書き綴っていきたいもの・・・と、あらためて思っています。
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