能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

碇潜を巡ってもう一日のつづき

実はもう一つ、聞きつけた話があります。
同じ観世流でも梅若六郎家や観世喜之家では、小書無しでも後場に大屋形船に乗って二位尼と大納言局が登場し、しかも碇を出すという話です。

昨日の記載に戻りますが、明治26年の謡本が底本としている天保十一年山本長兵衛刊の本は「観世流謡別能二十八番」とされていて、これに収録されている二十八番は江戸時代には観世座の正式な演目とはされなかったと言われています。碇潜以外では、飛雲や放生川など遠い曲もありますが、雨月や水無月祓など比較的上演の多い曲も含まれています。
さてこの二十八番を現在で言う「復曲」するについて、初代梅若実が大きく関わっていたと言われています。このあたりは武蔵野大学客員教授をされている三浦裕子さんが梅若実日記などから詳しく調べておられるようです。ともかく碇潜も、初代「実」は明治32年頃から何度かの試演を繰り返した上で、明治41年に初演しているとのこと。この明治41年は、初代が82歳で亡くなった明治42年の前年ですから、本当に最晩年までレパートリーを増やす努力を続けられた希有な方、ということのようです。

さてこの梅若の碇潜ですが、おそらくは後場に大屋形船に乗った後ツレが出、碇も出されたのではないかと想像しています。
観世喜之家の初代観世清之は一時梅若実の養子となり梅若六郎を襲名していましたが、後に梅若実に実子が生まれたため観世に復し清之を名乗った経緯があり、六郎家と密接な関係にありました。六郎家、喜之家いずれもが後ツレの出る形を基本にしているとすれば、源流はこの初代実の演能にあったと考えるのが筋が通ると思います。

ところで初代実の没後、謡本の発行などを巡って従来から争いのあった観世、梅若の関係が抜き差しならないところに至り、大正10年に梅若流が独立するという事態になります。
さて昨日取り上げたいくつかの謡本のうち観世元滋名で発行されたものは、まさにこの翌年大正11年の発行です。ここに収録された碇潜が、後ツレありを本文とし「當分ノ内」は能の際、後ツレなしの形とする旨記載したのは、この梅若との経緯があってのことと想像されるところです。
一つだけ解せないのは、以上のような経緯だったとして何故銕之丞家の碇潜が、後ツレを出す形ではないのかということです。梅若流独立の際は、当時の梅若万三郎、梅若六郎、観世銕之丞(六世)の三人が中心となっており、また六世銕之丞の夫人は初代実の娘という血縁関係にもありました。
もっともその後を見ると、銕之丞家は宗家との関係を深めていますし、いち早く観世流に復帰し大成版謡本の編纂にも協力していますので、いささか立ち位置が違うのかも知れません。

と、まああくまで想像の話ですが、いくつかの資料を見ながら、なにかと考えてみるのもまた一つの楽しみという次第です。

ここまででこの項を終わりにしようと思います。
なんとかパソコンがもって良かったというところです。これからパソコン到着までの数日間、ブログ更新をお休みしようかと思っています。なにしろ、いつ止まるかわからないのをだましだまし使っているのはけっこう負担でして・・・
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/1984-16354064

 | HOME | 

カレンダー

« | 2017-11 | »
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad