能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

朝長 出雲康雅(出雲康雅の会)

喜多流 喜多六平太記念能楽堂 2014.02.01
 シテ 出雲康雅
  ワキ 森常好、アイ 山本東次郎
   大鼓 國川純、小鼓 鵜澤洋太郎
   太鼓 観世元伯、笛 一噌仙幸

この会の冒頭、大島輝久さんの解説があったことは先に書いたとおりですが、大島さんが述べておれたように、「源朝長」という武将はどちらかというと知名度の低い人物です。源義朝の次男で悪源太義平の弟、というよりも頼朝や義経の兄ということで、歴史に興味のある方なら誰もが知っていても良いような出自ですが、およそこの「朝長」という能以外に、主人公級で扱われている物語や劇はないだろうと思います。

最大の理由は、わずか16、7歳で、しかも大規模な戦闘の中などではなく、落ち延びる途中で自害したというところにあるようです。大島さんの解説を概ねなぞる形で、この頃の時代背景と朝長について少しばかり見ておこうと思います。

保元・平治の乱と一口に言いますが、わずか4年ほどの間に起こったこの二つの戦いで、権力が一気に平清盛に集中していきます。保元の乱は崇徳上皇と後白河天皇という兄弟の争いに、摂関家、源平両家がからみ、それぞれがまた身内で争い合ったというもので、源平両家では後白河天皇方についた平清盛と源義朝が勝者となります。
しかしその後、勝者側である後白河天皇の側近である信西(藤原通憲)に対する反感から、藤原信頼と源義朝が反信西派の中心になって起こしたクーデターが平治の乱・・・と簡単に言ってしまえば、そういう位置づけです。

その起こりは77代白河天皇に遡ります。77代以降の天皇は白河、堀河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河、二条、六条、高倉、安徳と続きますが、鳥羽天皇が崇徳天皇を嫌ったことが事の始まりとされます。崇徳天皇は鳥羽天皇の第一子ですが、実は鳥羽天皇の祖父である白河天皇の種であるとの話があり、これが親子確執の原因になったといわれています。
さてこのつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/2019-a0a9b3d9

 | HOME | 

カレンダー

« | 2017-11 | »
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad