能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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朝長またまたのつづき

昨日までで舞台の様子は終えましたが、この曲を廻ってもう少しだけ書いておこうと思います。

まず観音懺法について。
仏教上の詳しいことは分かりかねますが、懺法というのは簡単に言ってしまうと懺悔の力で仏性を取り戻す儀式と言えそうです。天台系の法華懺法と禅宗系の観音懺法が有名とものの本にはありますが、さて朝長が観音懺法を尊んでいたのかどうか、少なくとも平治物語にはそうした記述は見あたりません。

ただ、足利義持が禅宗に傾倒していて、臨済宗相国寺の僧達が観音懺法の修行をしていると、それを聞いていて経文を数句飛ばしたと指摘したという話が残っています。将軍家が観音懺法に傾倒していたとなれば、能作者たちもこれを考慮したと考えて良さそうに思えます。
相国寺は現在でも重要な法要として観音懺法を修しているそうですが、「朝長」の観音懺法は相国寺のそれを参考にしたとも言われています。

次に小書「懺法」について。
朝長には有名な小書「懺法」があります。これは太鼓方の小書ですが、滅多に上演されません。太鼓を特殊な締め方をして、独特な音を出すようにし、この音で朝長の鎮魂をしようという小書と聞いています。
もちろん私は観たことがありませんで話に聞いているだけですが、普通の太鼓の皮ではこの懺法の締め方をすると一度の舞台でダメになってしまうとか。しかも低い音なのに緩めているわけではなく、後の調べといって終演後に橋掛りで太鼓方が太鼓を打ち、通常の高さの音を出すのだそうです。
修羅能では、屋島の弓流、清経の音取、そして朝長の懺法と、三つの小書が有名ですが、中でも懺法は滅多に上演されないという意味でも貴重な小書です。

さて最後に中入の不思議をめぐって。
鑑賞記中に、極めて変則的な中入と書きました。そもそも前後でシテが全くの別人格であり、しかも弔うべき前シテが姿を消してしまうのは妙だということです。
さてこの件は、実は次に鑑賞記を書こうとしている国立能楽堂企画公演「藤戸」にも共通する問題です。
そこで後日、日をあらためて、朝長や藤戸の改作をめぐる話も書いてみようと思っています。
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