能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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錦戸のつづき

舞台には名宣笛で、ワキ錦戸太郎の舘田さんが登場してきます。
直垂上下に、梨打烏帽子に白鉢巻の出立で常座まで出「これは奥州の住人秀衡が子に 錦戸の太郎にて候」と名乗ります。
さらに続けて、頼朝と義経が不仲となって判官(義経)は都に居られなくなり、我が親秀衡を頼って奥州まで下られたこと。秀衡が臨終に及んで子供達を呼び寄せ、義経を主君と仰ぎ心替わりすることのないようにとかたく遺言したこと。しかしながら誰が(義経に)申し上げたのか、我等が心変わりしたと聞かれて、出仕しても対面が叶わなくなってしまったこと。さらには頼朝より御教書が届き、これを受けて泰衡と自分は、頼朝に従うこととしたのだが、三男の泉三郎には話していないので、これから泉の館へ急ぐところであることなどを語ります。

ここで物語の前提が語られるわけですが、これだけではよく分からないので、舞台を少しばかり離れて、錦戸太郎とは何者なのかといったあたりを書き記しておこうと思います。
奥州藤原氏は初代清衡に始まり、二代基衡、三代秀衡と続きますが。この秀衡には多くの男子がいました。長男が錦戸太郎国衡、次男が藤原氏四代となった泰衡、そして三男が泉三郎忠衡です。その他にも何人もいますが、とりあえずこの曲に関係するのはこの三人です。
国衡は庶子であるため、秀衡の存命中から正室の子である次男泰衡が後継者とされていました。国衡の母親は蝦夷の出身だったという説もあるようです。
平泉館の西の木戸のところに住居を構えていたので「西木戸」と呼ばれ、転じて「錦戸」になったと言われますが、確かなことは分かりません。武勇に長けていたとの話もあります。本曲ではワキが演じます。

この曲のシテは後ほど登場してくる泉三郎忠衡ですが、忠衡は平泉の柳之御所にほど近い泉屋に居を構えていたので泉三郎と呼ばれたとのことです。

源義経が兄頼朝と不仲になり、鞍馬山から逃れた後、庇護を受けていた奥州の藤原秀衡を頼って下向します。秀衡は国衡、泰衡、義経の三人に起請文を書かせ、三人して心を合わせ頼朝に対向するようにと命じますが、秀衡の死後、頼朝の圧力に屈して泰衡が義経を襲って自害させてしまいます。
この折、忠衡は秀衡の遺言に従って義経を主と仰ぎ、頼朝に立ち向かおうと主張しますが意見が合わず、義経の死後、泰衡に誅殺されたとされています。
この事件を取り上げたのがこの曲という訳ですが、このつづきはまた明日に
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