能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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皇帝さらにつづき

ワキはツレ楊貴妃に向き直り「いかに貴妃」と謡い出します。まさに皇帝らしい重々しい謡。
シテの中入後は間狂言が出て、これまでの子細などをまとめるのが普通ですが、この曲では間狂言は出ず、ワキとツレによる場面となっています。玄宗皇帝と楊貴妃のやり取りは、かの長恨歌を引きつつ、ワキ、ツレの掛け合いから、クセへと展開し、聞き応えある場面です。

ツレ楊貴妃は金地の唐織に天冠を頂き、貴婦人の装いです。観世流ではこの楊貴妃を「子方(ツレにも)」としていて、子方を出すことを想定しているようです。どちらが良いかは難しいところで、それぞれに得失がありそうですが、この日のツレは、ワキの重さと良いバランスだったように感じました。

地謡の「月の都の舞楽まで」の辺りで幕が上がり、後見が明王鏡を持って出てきます。
ワキは一度、正面に向き直っていますが、この辺りで再びツレに向き直ります。
「天長く地久しくて尽くる時もあるまじ」の謡で、後見は鏡を常座からやや太鼓に近い辺りに立て、ツレに向ける形にします。

ワキの詞「げに今思ひ出したり・・・」で明王鏡を枕元に置くようにという、鍾馗の霊の言葉を思い出します。
これを受けて、ワキツレ大臣が「勅諚尤も然るべしと・・・」と言いつつ立ち上がり、鏡を持つと「明王鏡を取り出し」と正先に置きます。鏡面を後ろ向きにして置かれた鏡を、ワキが見る形です。

鍾馗の伝説では、玄宗皇帝自身が瘧にかかり高熱を発して苦しんでいる時に夢を見、宮廷内で暴れる小鬼達を、どこからともなく現れた大鬼が難なく捕らえてしまったので、玄宗が大鬼に正体を尋ねると、武徳年間に科挙に落ち自殺した鍾馗であると明かしたことになっています。贈官の恩に報いるために現れ玄宗の病を治したのだと言ったので、夢から覚めた玄宗が鍾馗の絵姿を描かせ、それが端午の節句に飾る鍾馗の絵の元になったという話です。
楊貴妃が病になったというのも、明王鏡という鏡の話も伝説には出てこず、いずれもこの曲の作者、観世小次郎信光の創作であろうと言われています。

ともかくも、地謡で鏡の内に鬼神の姿が映ったことが謡われて後ツレ鬼神の出となりますが、このつづきはもう一日明日に
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