能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

水掛聟 大藏千太郎(国立能楽堂普及公演)

大藏流 国立能楽堂 2014.07.12
 シテ 大藏千太郎
  アド 大藏彌太郎、善竹大二郎

水掛聟は和泉流の高澤祐介さんの上演(鑑賞記初日月リンク)と野村万作さんの上演(鑑賞記初日月リンク)…万作さんは舅で聟は深田博治さん…の鑑賞記を書いています。

今回は大藏流です。この曲のプロット自体は流儀による違いが有りませんが、細かいところに違いがあります。もちろん毎度書いているように、狂言は流儀よりも家の違いが大きく、たまたま観た和泉流三宅派と、大藏流大藏家の違いということですが、気付いた点など書き記しておこうと思います。

まずもっての違いは、和泉流では先に登場するのが聟で、この辺りの百姓と名乗り自分の田を見回りに向かいます。ここで、自分の田には水が無く、隣の田に水が引かれているので「さてさて憎いことかな。油断のなることではない」と言いつつ畦を切り直し、自分の田に水を引くと、山の田を見に行くと言って退場します。

一方、今回の大藏流では、まず登場してくるのがアド舅で、当所に住まいする耕作人と名乗り、これまた自分の田を見回りに出かけます。日照りつづきで水が無いと言いながら自分の田にやってきて、やはり自分の田には水が無く、隣の田に水が引かれていることに気付きます。同様に畦を切り直して、また明日見舞おうと言って退場します。

一般的に「○○聟」という曲は聟がシテだそうですが、ともかくシテが先に出るのか、アドが先に出るのか、これは微妙な考え方の違いなのか、流儀で違うのだという主張なのか、本当のところは分かりません。ともかくここが違うということでご了解下さい。

さて、両流に共通であるのが、最初に出てきた人物は隣の田に水が引かれていることに気付き、自分の田に引き直すのですが、その隣の田が誰のものであるかには言及しないことです。隣の田が舅(または聟)の田であることは、次に出てくる人物の台詞の中に示されます。

ただしその触れ方には、いささか違いがあるのですが、このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/2057-86dbf6c5

 | HOME | 

カレンダー

« | 2017-08 | »
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。

FC2Ad