能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

清経のつづき

謡に続いて名乗り、道行の謡となりますが、この曲ではワキの詞章が上掛と下掛で、割と異なっています。上掛の本では「(平家が)筑紫の戦で負けてしまい、(清経は)都へはとても帰れないだろうし、雑兵の手にかかってしまうよりはと思われたのか、豊前の国柳ヶ浦の沖で、更けゆく月の夜、舟から身を投げてしまわれた」といった内容を、ワキが語ることになっていますが、下掛宝生の本を見ると「清経は終に御身の成り行くべき事を思し召し定められけるか 豊前の国柳ヶ浦の沖にして 御身を投げ空しく成り給いて候」と、いささかあっさりした叙述になっています。

その一方で、道行の謡の後、ツレ清経の妻のもとを尋ねてからのやり取りが、少しばかり丁寧になります。上掛では案内を乞うワキの声に、ツレは淡津の三郎と気付き「人までもなし此方へ来たり候へ」と呼び入れ、ワキが進み出ると、ツレは続けて「さて只今は何の為の御使いにてあるぞ」と問いかけます。
下掛宝生本では、ツレが「此方へ来たり候へ」と招じたのに対し、ワキは「や」と声を上げ、(常座から正中に出て、ツレに向かって両手を突きつつ)「これは御声にてありげに候 粟津の三郎が参り候」と声に出します。さらにツレから「さて只今は何の為の御使いにてあるぞ」と問われ、上掛本では直ぐに「さん候 面目も無き御使いに参りて候」と答えますが、下掛宝生本では、ツレの問いに「かくと申さんためこれまでは参りて候へども」と言い、続けて「何と申し上ぐべきやらん 是非を弁えず候」と謡います。これにツレが「あらふしぎや なにとて物をば申さでさめざめとは泣くぞ」と問いかけて、ワキの「さん候 面目もなき御使にて候」へと続きます。

シテはシテ方の本、ワキはワキ方の本を基本に演じますから、今回のような場合、ワキの「何と申し上ぐべき・・・」の謡の後、シテの謡がないままに、ワキは「さん候・・・」と続けることになります。
いささか細かく書いてしまいましたが、こうしたシテとワキのやり取りのすれ違いは、時々気になることがあります。とは言え、やり取りがいささか落ち着かない感じになってしまうのは仕方ないところで、これがまた座付きのワキという形態がなくなってしまった現在の能の特徴でもある、ということでしょうか。

さて面目もない御使と言った淡津の三郎ですが、清経が身を投げたことを妻に語ります。このつづきはまた明日に・・・
(観世流では淡津三郎と表記しますが、下掛では粟津の表記のように見受けます)
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