能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

昭君もう一日のつづき

ツレは、胡国の夷は人間だろうに、鏡に映った姿は人ではなく、冥土の鬼だろうかと謡います。これに対してシテは、呼韓邪単于も死して昭君の父母と対面にやって来たのだと語ります。
恐ろしいという姥に、シテはどうして怖がるのかと問いますが、鏡に映して自分の姿を見てみるようにと言われ「いでいで鏡に影を映さん」と立ち上がって下がり「鏡に立ち寄りよくよく見れば」と鏡に寄ります。「恐れ給うもあら道理や」と下がって扇をを広げると、ノリ地の地謡に。

一回りして鏡にサシ込み、下がって扇持つ右手を上げ、「元結更にたまらねば」と手を下ろしつつ正中に。「さね葛にて結び下げ」と左手に髪を取り、下がって面を上げると、ツレを見込んで下がり、ここから「姿も恥ずかし鏡に寄り添い」と正先に出て一つ飛ぶと下がりガッシ。自らの恐ろしい姿に驚き恥じる様を謡に合わせて示します。
「恐ろしかりける顔つきかな 面目なしとて立ち帰る」と鏡に寄り、よくよく見込んだ後、常座に下がります。

キリになり、六拍子、踏み返し、扇を上げてサシ込み開キ、サシてサシ込み開キと舞台を廻り、角で後ろを向いて常座に向かい小廻りして開キ。左袖を巻いて「誠を映す鏡なれ」と留拍子を踏み、終曲となりました。

さて冒頭に、この曲はいささか変則的と書きましたが、この曲は金春系の古曲を夢幻能の形に合わせて改訂したものだろうと推定されています。
筋を追えば、昭君の父母のところに昭君と呼韓邪単于の幽霊が現れ対面するというのが基本の枠組みですから、父が姿を消してしまうのは妙です。

おそらくは父母が登場して嘆き悲しむところに、シテ昭君の霊とツレ韓邪将の霊が現れ、昭君の霊がなにがしかの舞を舞って成仏する、という一場物の曲だったのではないかと想像します。流儀によっては、あるいは観世流でも演出によっては、昭君を子方ではなくツレとして登場させることもあり、また韓邪将が舞働を舞うこともあるようです。

夢幻能の形式を尊重すれば現行の形になるのでしょうけれども、いささか分かりにくいし、韓邪将がシテというのも、昭君の悲劇からテーマがズレてしまう感もあります。
昭君がシテとして舞を舞うような演出も試みられている様ですが、こうした様々な動きも、長い歴史のある能ゆえかも知れません。
(56分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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