能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

重衡と横浜能楽堂

さて観能記は昨日までで終えましたが、もう少し「重衡」という能と、併せて今回初めてお邪魔した横浜能楽堂について、記載しておこうかと思います。

まずは重衡ですが、間語りのところで清盛の四男と記しました。間語りの部分はテキストがなく聞き書きですので聞き間違いもあり得ますが、「ん」の音が聞こえたように感じました。平家物語でも清盛の子は、嫡男重盛、次男宗盛、三男知盛、そして四男重衡と書かれています。
しかし史実では重盛と宗盛の間に、清盛が太政大臣となる5年ほど前に24歳で亡くなった基盛がいて、重衡は五男になります。
保元物語には活躍の様が華々しく描かれ、尊卑分脈などにも記されている基盛が、どうして平家物語では存在そのものが記されていないのか、これには諸説あるようです。しかし、少なくとも物語としては、長男重盛と二男宗盛の対比の形で描かれることで、平家の凋落の原因が際立ち面白味を増していると思います。

重衡の鎌倉護送は能「千手」で取り上げられていますが、一ノ谷の合戦で捕えられた重衡は鎌倉に送られ頼朝と引見します。この際、頼朝が重衡の人物をみて厚遇し、政子の侍女千手の前が重衡を慰めるため遣わされて、重衡を思慕するようになったとされます。
しかし南都宗徒の強い要求によって、重衡は南都に引き渡され木津川あたりで斬首されます。遺骸は妻の輔子が引き取って葬ったとされいますが、その墓が奈良坂の暮群の一角にあった笠塔婆であると信じられていて、後にこの笠塔婆は南都焼き討ちによって伽藍が焼失した因縁のある般若寺に移されて重要文化財となっています。

南都焼き討ちは南都の寺々にとって大事件だったようですが、平家物語はこの能「重衡」と同様・・・というよりも能が平家物語に依ったのでしょうけれども、夜戦に灯りが必要なので民家に火を掛けたところ、延焼して大仏殿をはじめ東大寺、興福寺など多くの伽藍が焼け落ちてしまったとしています。しかしもともと計画的な放火との説もあり、真相は不明です。
とは言え、計画的であったとしても伽藍が一宇残さず焼け落ちるほどのことは想定していなかったと思われ、平家一門、わけても当事者である重衡にとっても驚きの事件だったと想像されます。その罪証を意識する故に、救われないままに修羅道に落ちて行くこの能が成立するのだろうと思います。
横浜能楽堂の話はまた明日に・・・
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