能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

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満仲を廻って

一昨日、続きを書こうと思っていたのですが、諸般あって一昨日、昨日と、ブログに手が出ませんで本日となりました。
実は今日は、国立能楽堂の企画公演で「寺社と能」と題し、翁・末広がり・春日龍神という番組を観てきまして、いささか珍しい番組なのですが、この話はいずれ後ほど。

ということで満仲の観能を廻って、気付いたことなどをアトランダムに記しておこうと思います。

まず振り返って、なぜ美女丸が舞う形からシテの男舞に変わったのかという疑問です。これについて書き残されたものも無いようで、全く想像の域を出ませんが、おそらくは舞があるならシテが舞うべきという考え方と、もう一つは長丁場のドラマを演じた上で舞まで舞えるような子方の確保が難しいということではなかろうかと思っています。

鑑賞記でもちょっと触れました横浜能楽堂の企画公演の際、西野先生の解説があり、美女丸が舞う意味のお話があったそうです。武芸だけに興味を持ち、学問も詩歌管弦も何も出来なかった美女丸が、幸寿の死をきっかけにして、少なくとも舞が舞えるほどに成長したという意味があるという趣旨だったそうですが、これは納得いくところです。そういう意味でも、この子方は大変難しい役どころと思いますが、横浜では例の長山凜三クンが勤めたそうですので、見応えあるものだったと想像しています。

ところで、観世流の仲光は明治初期に梅若実によって復曲されたもので、宝生の満仲とも相違があります。
梅若実の復曲は明治5年、7年、12年といくつかの説を見かけますが、八木書店さんから刊行されている梅若実日記をざっと見た限りでは、5年と7年には仲光に関する記事は見あたらず、5年5月23日に「満中 亀太郎」の記載が見られるだけです。(「仲」ではなく原本も「中」と書かれているようです。)
一方12年には3月24日に、本願寺様の御能が決まり満仲の件で鉄之丞を清孝の所へ行かせたとあり、翌25日に満仲の相談に近右衛門、金之丞、幸太郎が来たこと。そして29日に「東本願寺様大門様」がお出になって能を献上したことが書かれています。
その三曲目に仲光を実自身が演じ、満仲を幸太郎、美女丸を万三郎、そして幸寿を清廉が演じた記載があります。さらにここには「御好ニ付 再発ニテ初テ相勤」とあって、素直に解釈すれば、これが仲光の復曲初演であろうと思われます。大変な短期間に復曲の作業をしたと伝えられていますが、大正頃までの観世流の本を見ると仲光は番外の扱いになっていますので、正式に流儀の曲とされたのは昭和になってからの様子です。
・・・「満仲」からの話、明日につづきます
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