能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

月見座頭さらにつづき

舞台に一人残ったシテは、しみじみと謡を謡い、「はあ、くっさめ」と、いわゆる「くさめ留め」で一曲を終えます。

アドが戻ってくるところから後の部分は、現代人の感覚ではなんとも割り切れない感じがするところです。本曲のような、いわゆる座頭狂言では、多かれ少なかれ盲人をなぶるような内容があり、近年上演されることは少ないのですが、こうした演劇が普通に演じられていたという歴史的な事実を確認しておくことにも意味があろうかと思っています。

さてこの曲、ちょっと調べてみると、江戸時代後期に鷺流で作られたようで、大藏流では明治以降に現行曲としたようです。大正年間刊行の「狂言五十番」には鷺流のテキストが取られていて、いささか内容が異なります。
もともとの形では、シテの名乗りは「勾当」となっていて、前半のシテが虫の音を尋ねる場面は、さほど情趣深い感じがありません。月見の人たちと言い合いになったような態を見せたり、「ざざんざ」と小謡を謡い、歌を詠むに邪魔になるといわれた様子など、なんとなく、あとあとなぶられるのも仕方ないと思わせるような展開になっています。

勾当は検校、別当の下、一般の座頭よりは上という地位ですが、裕福な者も多かったようで、勾当出立の装束からもうかがえるところです。金貸しをしていた者も少なからずいたようで、後段のアドがシテをなぶる展開をスムーズに導く設定となっていたのかも知れません。

山本家では、この日のように勾当出立で出るものの、名乗りは座頭とするようで、しかも前半の展開からみて、シテの悲哀、情趣を描き、しみじみとした風情を醸し出そうということで、装束のみ勾当の格を示した演出か、と思われます。
鷺流の形では、アドが引き上げた後、道に迷ったシテが、犬に追われて逃げ入るという留めになっています。一人舞台に残って謡い、しみじみとした場面を作りあげる山本家の形とは、相当に異なった印象です。
(34分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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