能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

関寺小町またつづき

クセは「あるは無く 無きは数そふ 世の中に あはれ何れの 日まで嘆かん」と、新古今の小町の歌からの謡い出し。およその意味としては、生きている人は亡くなり、亡くなった人の数は増えていく世にあって、いつの日まで私は歎き続けるのであろう、といったところでしょうけれども、続けて「と 詠ぜし事も我ながら 壁生草の花散じ 葉落ちても残りけるは露の命なりけるぞ」・・・そう詠んだのは自分であるけれども、いつまで続くことかこの命は、と百歳に到る思いを謡います。

「せめて今はまた初めの老ぞ恋しき」今となっては初老の頃さえ懐かしいとシオリます。古は栄華を楽しんだ身が、今は賤の小屋住まいであることを、玉造小町子壮衰書を底本としたと思われる章句で謡います。

上げ端「関寺の鐘の声」を謡ってシテは「逢坂の山風の」と目付柱の方を見やり、正面に戻すと「飛花落葉の折々は」で扇を出し、続いて短冊を取り出すと「硯をならしつつ筆を染めて藻塩草」の謡に、扇を筆に見立てて墨を含ませる態。
「書くや言の葉の枯れ枯れに」で短冊に歌を書き付ける様を見せ、「あはれなる様にて強からず強からぬは」と再び墨を含ませて書き継ぎ「女の歌なれば」と短冊をみると「いとどしく老いの身の 弱り行く果ぞ悲しき」と短冊を下ろして左に置き、シオル形になります。

子方がワキを向き、ワキも振り返って子方と向き合う形。子方が七夕の祭のことを告げ、ワキはこれを聞いて立ち上がると、少しシテに寄って下居し七夕の祭に出てくるように声をかけます。
シテは老女のことでもあり・・・と遠慮しますが、ワキは重ねてシテを促し、立ち上がって藁屋の側まで寄って下居します。
さてこのつづきはまた明日に
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