能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

歌占を廻ってのまたつづき

加工して書くと上手く伝わらないような気もしまして、『変調「日本の古典」講義』の中から、「分からない」という理解の仕方について、安田登さんが話しておられる部分を抜き書きさせていただこうと思います。

・・・今日の対談は公開対談で、最初に内田さんと『井筒』を謡いましたが、おそらく多くの方にはちょっとストレスだったんじゃないかと思うのです。だいたいの方が、僕らが何を謡っているか分からなかったはずです(笑)。能の謡を稽古した人が聞いたら、知らない人よりは聞き取ることはできたかもしれない。でも、それが分かるかというとちょっと違うと思うのです。僕たち能楽師だって、新作能の詞章を聞いたら、やはり分かりません。
書かれたものは分かるのが当たり前、あるいは書く人は分かるように書くのが当たり前というのとは実はちょっと違って、「分かること」を前提として書かれていないテキストが、日本語の中に少なからず存在しています。能の詞章などはその代表です。
能の謡を聞くときには、断片的に聞こえてくるさまざまな音や言葉を自分の頭の中で組み立てていく。そこに立ち上がってくるイメージを楽しめばいいのです。それを「分かろう」とした瞬間に眠くなります。「能を分かりたかったら100回見なさい」という人がいますが、100回見たって分からないものは分からないし、眠くなるものは眠くなります。100回見るというのは、これは「分かる」ための努力をあきらめなさい、ということなんです。その努力を手放した途端に、能は突然面白くなってきます。
とかく僕らは「分かること」を中心に世界を理解しようとするクセがありますが、これは無数にある世界の理解の仕方の一つにすぎず、「分からない」という理解の仕方もあるということも大事なのです。・・・(変調「日本の古典」講義、祥伝社刊)

というものです。
これは、歌占の難解な占いの謡のみが該当する訳ではなく、当然ながら広く謡曲全般にかかわるものです。今回の鑑賞記の初めの方に書きましたが、とりわけ前シテの一セイ、サシ、下歌、上歌あたりは、まさに断片的に聞こえてくるさまざまな音や言葉から立ち上がっているイメージを楽しむべきものと思います。この本を読んでいて目が覚めたような気がしました。

明日、もう少しだけつづけます
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