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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

歌占を廻ってのまたまたつづき

『変調「日本の古典」講義』は、安田さんと内田さんの何度かにわたる対談から文章化したもので、様々な話題が語られています。
人馬一体ではありませんで、馬に乗ることで弓もより強く引くことができるといった話も出てきます。那須与一が扇の的をねらうに際して、馬に乗ったまま海中に少しばかり進んで弓を引いたのは、馬の力を使ってより強く、確かに矢を放とうとしたのだ、といった解説もあります。

そんなことを考えたこともなかったので、読後感としては「そんなもんかいな・・・」と思った程度だったのですが、その後、ちょうど味方玄さんの「屋島」で萬斎さんの奈須余市語(どういう訳か和泉流三宅派ではこう表記します。他は那須語などの表記が多いようです)を観る機会があり、タイミングの良さに驚きました。
いずれ鑑賞記に書こうと思いますが、萬斎さんの奈須余市語は、以前拝見したときよりもさらに進化しているような印象です。それはともかく、馬に乗った形で弓を引いて正中からワキ座前あたりに進む型を観ていると、馬と人の力が一つになると奇跡が起きるのかも知れないと、なんだか納得してしまいました。

この本の中で、安田さんと内田さんは六芸の話でも盛り上がっていて、その一つである射と御に関して、この那須与一の話に触れています。六芸は礼、楽、射、御、書、数ですが、世上言われる解釈と、お二人の話はだいぶん違う感じです。
礼や楽なども、礼儀作法や楽曲を楽しむといった範疇を超え、鬼神に仕える作法として説明されています。

これを読んでいて思ったのですが、古典を読むとき、ついつい現代の感覚で判断してしまう。けれども、それぞれの時代それぞれの地域によって、拠って立つ世界観、死生観が全く異なっていたはずで、その前提を忘れてしまうと本当のところが分からないのではないかと、あらためて認識したところです。考えてみれば、孔子の時代は2500年も前のことで、不老不死を願って徐福に霊薬を探させたという始皇帝よりもさらに200年以上前の人です。確かに論語には現代に通じる話も多々ありそうですが、だからといって現代の感覚で判断してしまうのは危ういと感じました。
古今集仮名序の「力をも入れずしてあめつちを動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女の仲をもやはらげ猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」も、当時の人にとってはけっして比喩ではなく、文字通りの意味だったのでしょう。だからこそ平安貴族は歌ばかり詠んで遊んでいたようですが、それはそれで立派なまつりごと・・・政だったということです。

今回は坂口さんの素敵な歌占の舞台をもとに、様々に書き連ねてみました。
思い返せば、子供の頃に小児喘息のため漢方医に診てもらっていたことから漢方や中医方に興味を持ったり、高校時代に易経に入れ込んだり、仏教の宇宙観に興味を持ったりなどなど、今回、書き連ねたことの多くは二十歳前から気になっていたことばかりでした。
ここにきて本当に自分が興味を持っていたことに戻ってきたような気がします・・・
この項終わり
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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