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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

朝長さらにつづき

シテの詞を受けてワキ僧が、自分は朝長ゆかりの者だが忍んで下向してきたと述べて、シテとワキのやり取りになります。このやり取りの詞章は、上掛り、下掛りで大意は変わらないものの、言い回しなどは結構違っています。このやり取りの間に、シテは下居し小枝を置いて「かやうに弔い参らせ候」と合掌します。
ワキが続ける謡のうちにシテは立ち上がり、後見座の方に二足ほど進んで向き直り「げにこれとても二世の契りの」とワキを見込みます。さらなるやり取りから地謡の上歌に。「古葉のみの春草は」で五足ほど進み出て「さながら秋の浅茅原」と下がり、続く「荻の焼原の跡までも」で焼原を見渡すように面を使って二足ほど出、「げに北邙の夕煙」と遠くを見るように面を上げます。
「雲となり消えし空は色も形も亡き跡ぞ哀れなりける」の謡に下がりつつシオリ、おさめます。

ワキが朝長の最期の様子を語って欲しいと言い、シテは正中に下居、ツレ、トモも下居して、シテが語り出します。
語の中身は以前の鑑賞記と同様ですので記しませんが、朝長の最期の様子を、感情を抑えつつ語ります。「抑えつつ」というのは、シテの思いが抑制された表現の向こうに透けて見えるからで、この辺りが能らしい表現であり、シテの力量の現れるところと思います。

シテの語から地謡になり、下歌、上歌と続きますが、上歌は小謡でも謡われる部分。「悲しきかなや 形を求むれば 苔底が朽骨見ゆるもの今ハ更になし」で始まり、死して骨となってしまったことを憐れむ謡になっています。ですが、この謡、最後の部分で「三世十方の仏陀の衆生も憐れむ心あるならば」の後、下掛では「亡魂尊霊もさこそ哀れと覚すべき」と謡うのに対し、上掛は「さこそ嬉しと思ふべき」と謡います。ちょっとした言葉の違いですが、ずいぶんと印象が違います。

ともかくも時移り、地謡の下歌「かくて夕陽影うつる」でシテは目付柱の方に入り日を見る心で目をやり、シテ、ツレ、トモそしてワキも立ち上がります。シテは常座手前で「青野が原の露分けて」と角の方を向き、続く「青墓の宿に帰りけり」の謡に、大鼓の前辺りに進み、ワキもシテを向きます。
シテは向き直るとワキに向き合い、しばらくここに逗留して朝長の跡を弔って欲しいと言います。ワキが答えると、シテは常座からアイに声をかけ、御僧に宮仕え申し候へと言い置いて、ツレ、トモを伴って中入りします。
このつづきはまた明日に
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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