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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

通小町さらにつづき

今回は、シテが一ノ松で熨斗目を被いたまま謡い続けてロンギ。
地謡に続けて、ツレは「人の心は白雲の・・・」と謡いゆっくりと大小前から正中へと向かいます。シテはツレを向き「褁めども我も穂に出でて」と謡いつつ熨斗目を落とし、黒頭に痩男の面、無紅厚板に黒の褸の水衣を肩上げにした姿を現します。

雨夜之伝の小書が付いた山本順之さんと故関根祥六さんの時は指貫で、山本さんは褸の単狩衣、祥六さんはモギドウと、装束にも様々な形がありました。小町への思いに苦しむ四位の少将を表現するため、シテが様々な工夫をしているのが窺えます。

姿を現したシテは「招かば止まれかし」と右手で招く型。ツレの謡を聞いて「さらば煩悩の犬となって」と謡いつつ向きを変えて橋掛りを歩み出し、ツレの謡「恐ろしの姿や」を聞いて、「袂を取って」と舞台に入り「引き止むる」とツレの袂を取ります。
シテ、ツレ二人が並んだ形になり、ワキが小町と少将の幽霊と認め、車の榻に百夜通った所を「まなうで」御見せ候へと言葉をかけます。
「学ぶ」は現在では勉強するという意味だけになってしまいましたが、もともとは真似をするの意味で、見習ってその通りにすることから、師の教えを受けるあるいは勉強するといった意味になっていったもの。幽霊に、生前の様を再現してみるように言うときに、ワキが「まなうで」と声をかける場面が多々見られます。
幽霊に生前の出来事をまなうでみせるように勧める、能にはよく見られる表現ですが、誰が何時こんなことを思いついたのか、またそれをなぜ演劇に組み入れたのか、考えると実に奥深いものがありそうです。羅生門の鑑賞記にも書きましたが、この幽霊に生前の出来事をまなうでみせるように勧めるというのは、カウンセリングの傾聴にも通じるものと感じています。

さてワキの勧めで百夜通いの様を見せるシテ、ツレは、掛け合いの謡でその折の様を謡いつつ、シテが常座で後見から笠を受け取り謡い舞いします。
この笠がここでの鍵になっている様子で、笠を差し出し、また頭上に差し上げるなど、笠の扱いに様々な思いが象徴されるようです。「身一人に降る 涙の雨か」とシテは角で謡いつつ持っていた笠を上げて足拍子を踏み、立廻となります。
雨夜之伝の小書では、この立廻が変化するわけですが、ここは通常の形で舞台を廻り常座の少し前あたりで「あら暗の夜や」と謡って笠を両手で掲げ下ろします。
この後は仕舞でも舞われる部分。「月は待つらん 月をば待つらん」笠を左の手に。「あかつきは」から七つ拍子踏んで角に出、笠を使って舞いつつ「独人寝ならば辛からじ」と下がって腰を下ろします。九十九夜を数え「今は一夜よ」と小指を残して、面を上げて立ちあがり大小前へ。
「笠も見苦し」で笠を落とし、扇を出して謡い舞いしますが、「衣紋けたかく引きつくろひ」で拍子二つ踏むと、ここから「飲酒は如何に」という突然の飲酒戒の詞章になっていきます。
「小野小町も少将も、ともに仏道なりにけり」と常座にて合掌し、扇を広げて留拍子を踏み終曲となりますが、この突然の展開はなんとなく違和感があるとこれまでの鑑賞記では書いてきました。
この部分には古くは省略された場面があったという説もありますが、一方で、生前の出来事を再現することで成仏のきっかけが得られるのであれば、ここは百夜通いの様を見せたことで、既に成仏の機縁を得たのだと、そういう解釈もありだなあと、今回の舞台を観ていて思った次第です。
(56分:当日の上演時間をおおよそで記しておきます)
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このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
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