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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

大藏流と和泉流そして鷺流

ところで狂言の流儀というと、現在は大藏流と和泉流の二流ですが、江戸時代には鷺流があって三流だったわけです。


狂言自体は、おそらく南北朝の時代から続いているのでしょうけれども、何分、即興的な芸でもあったらしく、古い時代のことはよく分からないようです。
間狂言というもかなり古い時代からあったらしいのですが、これもよく分かりません。


ハッキリしてくるのは江戸時代に入る辺りからで、金春座に従って活動していた大藏家が現在に続く大藏流のもとになっています。
鷺流というのは明治の混乱期に廃絶してしまったわけですが、観世座付きとして狂言の筆頭に置かれていたのは鷺流でした。
観世以外の各流では大藏の各家が狂言を演じていたようです。


和泉流は、山脇和泉守元宜が1614年頃、尾張徳川家に召し抱えられて、野村又三郎や三宅藤九郎らと三派連合のような形で一流をなしたのが初めと言われています。
式楽という意味では、いわゆる座付きは鷺流、大藏流だけで、和泉流はこれに加えられていませんが、禁裏御用ということで京都にも勢力を持ち、また金沢にも勢力があって、ある程度の広がりがあったそうです、


江戸時代の感覚としては、鷺流が一番、大藏流が二番、そして和泉流はその他という感じだったのではないかと思われるのですが、歴史の皮肉というのは面白いもので、江戸から明治に移るときの混乱でこれがまったく逆転してしまうわけです。


鷺流は式楽第一位の観世座付きという立場にどっぷり浸かっていて、一般に根を張っていなかったため、明治以降、廃絶という結果になってしまいました。


逆に禁裏御用という立場もあって、明治以降は俄然、和泉流が隆盛を極めてきます。
中でも金沢に勢力を持っていた三宅藤九郎家の弟子家にあたる野村家が台頭し、中絶していた師家にあたる三宅藤九郎家も再興して今日に至っている訳ですが、歴史の展開というのは、なかなかに面白いものです。

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