能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

放下僧 佐野由於(五雲会)

宝生流 宝生能楽堂 2006.12.16
 シテ 佐野由於、ツレ 大友順
 ワキ 宝生欣哉、アイ 大藏教義
  大鼓 高野彰、小鼓 幸正昭
  笛 藤田貴寛


これは敵討ちと芸尽くしを組み合わせた、望月にも通じる曲。割と好きな曲の一つです。前回見たのも五雲会、波吉さんのシテでした。


さて舞台は、まず最初にツレの牧野の小次郎が登場します。ツレの大友さん、美形でらっしゃるので直面のツレは適役かもしれません。
小次郎の父、左衛門某は、相模の国の住人利根の信俊と口論の末に殺されてしまっています。この父の敵を討つ相談のために、出家している兄を訪問するという設定。
常座での名のりの後、一ノ松へ向かい幕内に向かって呼び掛けます。


シテ小次郎の兄が登場し、三ノ松でツレと応対します。
そうなんです、謡曲には兄の名前がありません。小次郎の兄という次第。能の登場人物の名前には、こういう不思議な例が少なくありませんね。
砧では、ツレの侍女には夕霧と名前がありますが、シテは芦屋の某の北の方となっています。曲名も、望月のように敵討ちで討たれる方の名前が曲名になっているなど、どうも現代の感覚とは異なる部分がありますね。


それはさておき、シテの兄は幼少より出家の身であると、敵討ちを一度は断ります。しかしツレの説得で心を決め、放下に変装して敵に近づこうという相談がまとまります。このやり取りはシテとツレの詞でつなぐ訳ですが、佐野さんの詞には深みがあります。
節付けのある謡の部分はもちろんですが、詞の部分にもどのような思いを乗せるのか、重要なところと思います。
先日、近藤乾三さんの随想をまとめた本に目を通していましたら、この詞の部分が大事なのだという話を書いておられましたが、まったく同感です。この近藤乾三さんの本の話はいずれ鑑賞記が終わったら、ちょっと書いてみたいと思っています。


放下というのは南北朝時代からの半僧半俗の遊芸人で、様々な芸を見せた、今で言えば大道芸人といったところでしょうか。僧形の場合と俗体の場合があったようで、この能では兄が僧形の放下僧に、弟が俗体の放下に扮することにして、中入りとなります。
このつづきはまた明日に

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