高砂のつづき
続いて真ノ一声でシテ尉とツレの姥が登場してきます。
ツレの姥が先に立ち、一ノ松で振り返って、三ノ松に留まったシテと向き合っての謡になります。
この高砂のように老夫婦の形でシテとツレが出るものも少なくありませんが、この場合、一声を二人でゆったりと謡い、続いてサラサラとツレが二の句を謡って、再び二人でゆったりとあとを続ける形の謡いになりますね。
しかし安明さんと憲和さんの親子、いつもながらお声がそっくり。同吟のところなど、まるで一人で謡っているような感じです。
ところで昨日書いたように、高砂の謡が結婚式で謡われることは少ないのですが、結納で高砂人形を飾ることもあるようです。もともと関西の風習だと思うのですが、高砂の尉と姥を人形に仕立てたもの。
さてこの人形、普通は尉は熊手を、姥は杉箒を持っています。実はこれは上掛りの形。金春流など、下掛りでは尉、姥ともに杉箒を持って出ます。
舞台に入った二人に対して、ワキの友成は高砂の松とはいずれかと問いかけます。
高砂と住吉の松には相生の名があるが、かたや播磨の高砂と摂津の住吉では国も隔てた遠隔の地。なぜにそれに相生の名があるのかという問いかけです。
これに対して、シテは自分は住吉の者であり、一方の姥はこの地の者なので姥に答えさせようと言います。が、友成は夫婦と見えた老人二人がところを隔てて住む者とは、とさらに不審を募らせます。
これに対して、姥が「うたての仰候ふや。山川万里を隔つれども、たがひに通ふ心づかひの妹背の道は遠からず」と返します。心が通えば遠距離恋愛もなんのその、単身赴任だって怖くないと、言ってしまっては叙情がないかもしれませんが、なかなか意味深な言葉です。
実はこの二人の老人こそ、高砂と住吉の松の精。友成の前に人の形になって姿を現した次第です。
シテは「住吉にまづ行きてあれにて待ち申さん」と、小舟に乗り追い風に任せつつ住吉を目指して去っていく風にて中入りとなります。
この中入りの型、観世流では帆が風をはらむように水衣の両袖を広げて橋掛りを進みますが、安明先生は正中で船に乗る型をし、一度両手を広げて風を受ける風情を見せた後は、両手を納め静かに橋掛りを退場しました。これもなかなか面白い型ですね。
さてこのつづきはまた明日に
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