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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

熊野のつづき

まずは名ノリ笛でワキが登場してきます。
「これは平の宗盛なり」とまず名乗りますが、これを聞くとついつい吾輩は猫であるを思い出してしまいます。
猫が厄介になっている苦沙弥先生は謡を習っていて、後架で謡をうなり後架先生と渾名されても一向平気で「これは平の宗盛にて候」を繰返していると書かれています。
実は夏目漱石は下掛り宝生の宝生新に謡を習っていたこともあって、このワキの謡の話が出てきたのだろうと思います。


この日のワキ村瀬提さんは福王流なので詞がいささか違いますが、ともかく名ノリを終えたワキはワキツレの太刀持ちを呼び出して、熊野を花見に伴うようにと命じます。


さて、代わって次第の囃子でツレ朝顔が登場してきます。布由樹さんの朝顔、どうだろうかと思っていたのですが、声量もあるので堂々としたツレ。謡は大分稽古されたような感じを受けました。
朝顔は遠江から熊野を迎えに来たのですが、常座で名乗った後に橋掛りに戻り幕に向かって案内を乞います。


シテ熊野はこの案内に応えて登場してきますが、三ノ松に止まりここで老母を案ずる心持を謡います。いやこの謡、まいりました。正面席までハッキリと一語一語が伝わってくるだけでなく、その謡にのせた思いの深さがしみ込んでくる感じです。
この後ツレから手紙を受け取り、黙読した後にツレを伴って舞台に入り、呼びかけるのですが、これにワキツレが応えてワキに取り次ぎます。


シテは手紙を見せ、ワキは共に読もうと声を掛けて、まず二句ほどをワキが読みその後はシテとの同吟になります。このあたりを文ノ段と言いますが、上掛りではここはシテの独吟になるところ。
いずれにしても聞かせどころですが、文を見せたのにもかかわらず宗盛は熊野の帰参を許しません。花見に伴うと譲らずに「牛飼車寄せよとて」と車を寄せる謡になり、後見が花見車の作り物を出してきます。


一同は車に乗った風で、清水へ向かうわけですが、この間の謡、宗盛の邸から清水までの風物を謡いながら、また同時に熊野の心中も聞かせるという趣向。味わい深い場面が展開します。
このつづきはまた明日に

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コメント

「吾輩は猫である」の後架先生の『熊野』は「これは平の宗盛なり」だったかもしれませんよ。小説の原文が手元にないですが、漱石はワキ宝生だった、つまり下掛宝生なので、大臣の名乗りで、「候」ではなくて「なり」の可能性が大。私が自分で調査せず、本来なら発言権が無いかもしれませんが、無責任人間の戯言でも、当っているかもしれませんから、御自分で、『吾輩は猫である』の原文と、ワキ宝生に割合近い喜多流の謡本でお調べになるとよいと思います。

続けてのコメントありがとうございます

私の手元にある「吾輩は猫である」には「宗盛にて候」になっておりましたので、この記事を書きました。
とは言え、ご指摘の点も「なるほど!」と思うところで、当初の版はどうだったのかと気になり、国立国会図書館のデジタルライブラリーを参照してみました。こちらの資料は明治40年との記載がされていますが、これも「是は平の宗盛にて候」との表記でした。
なお、喜多流の謡本は手元にないので、これも国立図書館のライブラリーで、とりあえず明治40年の「喜多流謡曲大成」を確認しましたが、確かに「是ハ平ノ宗盛也」と書かれていますね。(ノは能の崩し字で書かれています)
ご指摘ありがとうございます。

漱石「候」。観世「なり」!

町の本屋さんで岩波文庫と新潮文庫の『吾輩は猫である』を立ち読みしたところ、両方ともZAGZAG様の仰るとおり、「候」でした。岩波文庫の「注」が面白いので買っちゃいました。五ページ1行目への注:一回読み切りのつもりで『ホトトギス』誌に掲載された。一二ページ10行目への注:子規派の俳句雑誌。『ホトトギス』。……わたしは何となく「漱石=虚子=池内=松山の喜多流および下掛宝生流」などと、短絡して考えていたのですが、漱石が下掛系統でなく上掛の「候」……オットどっこい、上掛のシテ方宝生流の謡本を見たら、「宗盛なり」です。ーーーそこで、もしやと思い、観世流(檜)を見たらこれも「なり」!じゃあ「候」はどこからやってきたのか???……ちなみに私が「候」が上掛で「なり」が下掛と思い込んだ理由は、『小鍛冶』のワキツレが観世が「橘の道成にて候」で、シテ宝生や喜多が「橘の道成とは我が事なり」と大臣姿の原則に沿っている事、この『小鍛冶』に見られる現象を「宗盛」に敷衍してしまった事が原因です。無責任に世の中を惑わせた事をお詫びします。

面白いご指摘でした・・・

もともとの記事を、もうちょっとよく見ていただければ気付かれたと思うのですが、最初の段落に『「これは平の宗盛なり」とまず名乗りますが』と書いています。その後、『吾輩は猫である』の話を引いて、ここでは『「これは平の宗盛にて候」を繰返していると書かれています』と区別して記載しています。

その後、パラグラフを分けたところで『この日のワキ村瀬提さんは福王流なので詞がいささか違いますが』とあらためて書きましたので、流れで読んでいただければ「これは平の宗盛なり」は、村瀬さんの名宣リを書き取ったものであることが推測いただけたと思います。
福王流は観世座付きのワキ方で上掛り系ですから、宝生や観世の謡本を確認されるまでもなく、上掛りでは「なり」ということが想定されると思うのですが・・・

凡例として、このブログを書く際にどんな記載方法をしているのか、あらためて記載をしました。
リンク:http://zagzag.blog72.fc2.com/blog-entry-784.html
素人の書いている“たかがブログ”ではありますが「○○と書かれています」と記載する以上は、私なりに原文にあたったうえで書いています。原文が確認できない場合は「○○と書いてあるようです」といった伝聞形式の記載に留めるようにしています。

とは言え、今回のコメントは大変興味深いものでした。
凡例に書いた通り、私は謡本として主に観世流大成版と、半魚文庫さんの謡曲三百五十番を用いていますが、後者も上掛りの本をベースにしているため、手元には一部の曲を除いて、基本的に下掛りの本がありません。
自分の手元のテキストが漱石の書いたものと合わないので、私はてっきり下掛りでは「宗盛にて候」と言うものだと思い込んでいた訳です。

今回の一件で、ご指摘のあった喜多流はもちろん、金春流謡本も「宗盛なり」の記載であることを確認しました。
肝心の下掛り宝生の謡がどうなのか、つい先日も殿田さんのワキで熊野を観たのですが、残念ながら記憶していません。・・・そうなんです、意識して聞いていないと記憶に残らず、後で「あれはどうだったかなあ」と思うことが少なくないので、メモをとりながら鑑賞して記録に残している、というのがこのブログを書いているもう一つの理由です(一つ目の理由は凡例に書いておきました)。

ともかく、下掛り宝生の謡はハッキリと確認していないのでなんとも言えないのですが、どうも状況証拠からみると「宗盛なり」のような感じですね。では漱石は一体どこから「宗盛にて候」を持ち出してきたのか・・・これは私にはとても興味深い話です。

宝生新から「宗盛にて候」と習った。「宗盛なり」と習ったが「宗盛にて候」と勘違いして書いた。そして、「宗盛なり」と習ったが「宗盛にて候」とわざと書いた。三つの答が考えられますが、はてどれでしょう。
・・・最後だとすると、とても面白いですよね。

私としては、案外それもあるかな、と思います。口の中で転がしてみると「やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している」のほうが「やはりこれは平の宗盛なりを繰返している」というよりも調子が良い感じがするんですよね・・・

5-17のコメント拝見。仰るとおりです。今後も五流の観能、よろしくお願いいたします。

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