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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

弱法師 守屋泰利(金春会定期能)

金春流 国立能楽堂 2007.01.21
 シテ 守屋泰利、ワキ 工藤和哉
  アイ 善竹大二郎
   小鼓 野中正和、大鼓 上條芳暉
   笛 寺井宏明


この弱法師(ヨロボシ)という曲、実に味わい深い曲ではあるのですが、なんだか腑に落ちないところが無いでもありません。


いやこの曲に限らず、親子の再会物全般についてそう思うのですが、出会っても相手が探す当人とは気付かずに遣り取りをします。しかし実際にそんなことってあるんでしょうかねえ。
この弱法師でも、ある人の讒言で子の俊徳丸を追い出したものの、子の二世安楽を願って天王寺で施行をし、その満参の日に当の俊徳丸が盲目の身となって弱法師と呼ばれる姿となって現れるわけです。
しかしワキの語りで明らかなとおり追い出した翌年のこと、いくら盲目になっているとはいえ気付かないものなのか、と思うんですよねぇ。


もっともこの曲、元雅の作ということになっていますが、世阿弥が手がけたものがあり、そこには俊徳丸の妻がツレとして登場するとか。
そうなると俊徳丸の追放から再会までには相当の年月が経っていると感じられるので、違和感も薄らぐかなあと思う次第です。


実のところこの俊徳丸については、能楽以前にいわゆる俊徳丸伝説があって、説教節などにも取られていますが、長者の息子俊徳丸が隣村の長者の娘と恋に落ちたものの、継母の呪いがもとで失明し家を追い出されてしまうという話。
幸い長者の娘が物乞いとなっている俊徳丸を捜し出し、観音の仏力によって盲目も癒えて継母を倒すという、めでたしめでたしの話になっているそうです。


これを精神性の高い味わい深い曲に仕立てる中で、恋仲の話ではなく親子再会の話にすり替えたのはたのは世阿弥、元雅の思想でしょうけれども、確かに恋仲から親子再会に替えることによって、話が感情的なものから精神的なものへと昇華されている感じがします。親子再会そのものがテーマなら、例えば俊徳丸を落魄した中年とでもした方が再会のインパクトが高まりそうな気もしますが、親子再会は作能の上では目的ではなくて手段だったということでしょうか。


さて曲の流れは明日につづきます。

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