FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

水汲のつづき

急に目隠しをされたいちゃは驚いて振りほどきますが、見れば寺の新発意。どうしたのかと問うと、新発意は「後を追ってきた」と答えます。
これは嘘ですね。嘘なんですが、このあたりの機転が日頃いちゃを憎からず思っている心情をうまく表しているように思います。


さらに新発意は、お茶の水を汲みに来たのだが「水というものはものにあやかるの」だから、誰が汲むかでお茶の味も違うもの。ぜひともいちゃに水を汲んでほしいと迫ります。
結局、いちゃが水汲みを引き受けますが、新発意の方は「上を汲めば塵や葉が入る。下を汲めば砂が立つ。中の方を汲むと良い」などと、なにかとちょっかいを出したがる風。


さらに、いちゃの小歌を久しく聴かぬので是非にも謡ってほしいと頼み、いちゃが小歌を謡いながら水を汲み出すと、新発意は橋掛りへ行き、一ノ松あたりで扇を開いて、自らも小歌を歌い出します。


大藏の「お茶の水」では、もともといちゃが住持に頼まれて水を汲みに来ているので、この小歌を謡うまでの流れも大分違いますが、そもそもこの和泉流の演出は、より男女の情感の方にウェイトがかかっているようで、この先の小歌のやり取りなどに細やかな詞や所作の気配りが見られるように思います。


いちゃと新発意が交互に歌い継ぐ形から、いちゃの歌で新発意が舞い初め、舞いながら再び舞台に入って、いちゃに近づきます。
そしていちゃの手を取りますが、いちゃは手を払って立ち上がり、二人で相舞の形。
なんだか万蔵さんのいちゃがやけに色っぽい。


さてそうこうするうちに、新発意がさらにいちゃに近より、いちゃは恥ずかしいととうとう水桶を新発意に頭から被せてしまいます。
新発意は「悉皆濡れ鼠じゃ」と言い「はァくっさめ」とくしゃみをして留めに。


大藏のお茶の水が、後に登場する住持と新発意の取っ組み合いにも相当のウェイトを置いているのとは違い、もっぱら男女の機微に焦点をあてた形。面白く拝見しました。
(25分:当日の上演時間を5分単位程度で記しておきます)

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/472-8a29406a

 | HOME | 

カレンダー

« | 2020-02 | »
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。