FC2ブログ

能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

菅浦文書・・・日本人のバイタリティつづき

「月ノ浦惣庄公事置書」は架空の村の話ですが、実はこの本にはベースとなった歴史資料があります。菅浦文書といって、かなり有名な古文書のようなのですが、恥ずかしながら私はこの小説を読むまで知りませんでした。

菅浦というのは琵琶湖の北岸、葛篭尾崎半島にある地名で、滋賀県伊香郡西浅井町に属しています。
この菅浦の集落の人々が、鎌倉時代から明治に至るまでの集落の様子を書き記したものが「菅浦文書」で、現在は滋賀大学に原本が保管されているそうです。

滋賀県、近江の国は、全国でも最も早くから「惣」が発達した地域といわれています。「惣」は惣村ともいわれ、中世の農民による自治的な共同組織とでも言ったらよいのか、単に「村」と言うよりも、共同体として公的にも認められたものということのようです。

菅浦の人々は古くから集落の発展に努力してきたものの、惣として正式に認められたのは15世紀も半ばのことだそうです。
この菅浦は、もともと園城寺円満院領大浦庄に属していました。園城寺、いわゆる三井寺ですが、ここにある円満院は寛和三年に村上天皇の第三皇子である悟円法親王によって創建され、円山応挙ゆかりの寺としても有名です。

菅浦の住民は、大浦庄の一部の領域を自領とすることで、村の領域空間を独立させようとしたのですが、これが大浦と菅浦両村間の紛争となりました。
この発端は永仁三年(1295)のことで、日指・諸河の田畑の所有権をめぐって大規模な紛争が始まりまったそうです。
菅浦の人々は、円満院と対立関係にあった比叡山延暦寺檀那院や竹生島などをたのみ、その後百五十年ほどにわたって争いが続きました
百五十年というと、幕末に始まった土地争いが現代になってようやく決着したというに等しい期間です。
その間、様々な形で紛争が続いたわけです。
このつづきはまた明日に
*** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** ***
このブログの記載方法などについてまとめています(リンク) 初めてご来訪の方はお読みいただけると幸いです
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://zagzag.blog72.fc2.com/tb.php/886-525de1bd

 | HOME | 

カレンダー

« | 2020-06 | »
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

月ごとに

カテゴリー

カウンター


最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

プロフィールなど

ZAGZAG

頑張らない、をモットーに淡々と行こうと思っています。