能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

放生川さらにつづき

ワキが当社の事を物語るようにと勧め、地のクリ。シテは正中に進んで下居、肩上げを下ろします。
シテのサシ、地謡と交互に謡いクセに。クセは居グセで、石清水八幡の神徳、謂われをシテの老人がワキ鹿島の神職に語り聞かせる形です。

石清水八幡宮の社伝では、平安時代の初め貞観元年に南都大安寺の僧である行教和尚が、豊前の宇佐八幡に籠もって祈る中で、八幡神より「都近き男山の峯に移座して国家を鎮護」するとのご託宣を受け、神霊を男山に奉安したのが起源とされ、翌貞観二年、朝廷が八幡宮の社殿を造営したと伝えられています。
クセではこの縁起が「行教和尚の御法の袖に影うつる 花の都を守らんと」と謡われ、その神威によって「国富み民の竈まで 賑ふ鄙の御調船四海の波も静かなり」と、八幡神を讃えます。
シテの上げ端「利益諸衆生の御誓ひ」から、さらに地謡が続けて男山、石清水の名を織り込んで神徳を謡います。

ロンギとなり、かくも委しく語られるのは神のお告げかとの地謡に、シテは「二百余歳の春秋を」過ごしてきたと続け、自ら武内の神であると明かして、男山の山上さして上がってしまったと地謡が謡う中、杖とって立ち上がると常座に回り込み、正面を向いて二足下がり立ち上がったツレともどもに送り笛に送られて中入。ワキは座に座り直しました。

ワキがワキツレに声をかけて、ワキツレが立ち上がって所の者アイを呼び出します。呼ばれたアイが進み出ると、ワキが型通り神事の由来を語るよう求め、アイが神功皇后の三韓征伐以来の由来を語ります。さらに型通りにアイがワキに子細を尋ね、重ねて信心をなし更なる奇特を見るように勧めて退場すると、ワキの待謡となります。
さてこのつづきはまた明日に
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放生川のつづき

ワキの一行がワキ座に着くと前シテの出。
真ノ一声で、まずはツレ男の水上さんが、段熨斗目に白大口、水衣の姿で先に立ち、後から前シテが小格子厚板に白大口、水衣を肩上げし、右手に杖、左手に白木の桶を持って登場してきます。
ツレが一ノ松まで出て振り返り、シテとともに一声、ツレが二の句と謡い、ツレが先に舞台に入って正中へ、シテは常座に進んで、シテのサシ謡と続きます。

サシから下歌と続き、八幡宮の神威を謡ってシテ、ツレは立ち位置を入れ替え、シテが正中、ツレが目付辺りに立ったところへワキが立ち上がって声をかけます。

ワキはシテの持つ桶を見咎めた様子で、八幡の神事で皆が清浄の儀式を執り行おうとしているのに、魚を持って、殺生の業をしているのはなぜかと問いかけます。
これに対してシテは、今日の神事はどの様なことと知っているのか問い返します。ワキが遠国より初めて参詣したので委しいことは知らないと返事すると、シテは「御覧候へ」と左手の桶を差し出し、生きたままの魚であることを示し、ツレが続けて、シテとともに二人で放生会の謂われを語り、謡う展開となります。

生きた魚を放つことにより神の恵みがあると二人は謡い、事の起こりを尋ねるワキに、異国退治の後、多くの敵を亡ぼした事を機縁として、放生の御願を起こされたのだと答えます。
さらにワキが川の謂われを問いかけると、シテは「御覧候へこの小川の 水の濁りも神徳の」と、角の辺りを見廻す風。ワキとの掛け合いから地の上歌。地謡の「取り入るる この鱗類を放さんと」を聞いて、ツレは笛座前に進み、ワキは着座します。
シテは「掬ぶやみづから水桶を」と正先へ出て下居、水桶を出して置き「魚は喜び鰭ふるや水を穿ちて岸蔭の」と、左手を上げ魚を逃がす形。下を見廻して立ち上がり、桶を置いたまま杖のみを持ち、常座へ進むと小さく回って「御誓ひあらたなりけり」とワキを向きます。
さてこのつづきはまた明日に
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放生川 武田孝史(宝生会月並能)

宝生流 宝生能楽堂 2016.10.09
 シテ 武田孝史 ツレ 水上優
  ワキ 殿田謙吉
  ワキツレ 則久英志 梅村昌功
  アイ 高澤祐介
   大鼓 亀井広忠、小鼓 森澤勇司
   太鼓 小寺真佐人、笛 一噌庸二

昨年10月、久し振りに宝生会の月並能を見に行った際の一番。脇能の一曲ですが、これまた極めて遠い曲でして初見です。

真ノ次第が奏されてワキ一行の登場。白大口に黒系の袷狩衣、大臣烏帽子のワキ。ワキツレはいわゆる赤大臣で、舞台中央まで出て次第。脇能につき三遍返しの後、ワキの名乗りです。
ワキは鹿島の神職筑波の何某と名乗り、都に上って洛陽の名所旧跡を見て回ったが、今日は八月十五日、南祭の日にあたるので八幡に参詣しようと思う旨を述べて、道行の謡となります。

「南祭」は石清水八幡宮の祭で、下鴨神社と上賀茂神社で行われる葵祭が「北祭」と呼ばれるのに対しての呼び方です。八幡宮の社伝によれば、清和天皇の貞観五年、旧暦の八月十五日に「石清水放生会」と称して、始められたと言い、男山の裾を流れる放生川に魚鳥を放ち、生きとし生けるものの平安と幸福を願ったとされています。
祭は応仁の乱の頃から二百年程中断しましたが、その後復活して、明治からは新暦の九月十五日に催されています。本曲はこの放生会を取り上げた曲ですので、ワキが祭の日に八幡宮に向かうところからはじまります。
もっとも上掛の本では「また今日は南祭の由」とのみ記されていますが、下掛の本では「また頃は八月十五日南祭の由」とあります。当日は下掛宝生流の殿田さんがワキでしたので、八月十五日と述べました。

続く道行、木幡山から竹田河原を過ぎ八幡の里に着いたと謡われます。上掛の本では竹田河原ではなく鳥羽の細道とありますが、どちらが先だったのか些か興味あるところです。ともかくも一同は八幡の里に着き、心静かにじんばい…と聞いたようにメモしてあるのですが「神拝」でしょうか、ともかく参詣しようと言ってワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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