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能の花 狂言の花

一観客として、能楽の面白さの一端を伝えられれば、と思っています。 初めてご来訪の方は「はじめに・・・能狂言に寄せて」のカテゴリーをご一読下さい。これまで書いた鑑賞記の索引を載せています。

江野島のつづき

真ノ一声が奏されて、シテ漁翁とツレの漁夫が登場してきます。
ツレの桑田さんが無地熨斗目に緑の褸の水衣、右肩に釣竿を担って先に立ち、後から出たシテ中森貫太さんは小格子厚板着流しに薄茶の絓の水衣肩上げ、茶の腰蓑を着け、こちらも右肩に竿を担っています。
先に出たツレが一ノ松で振り返り、幕前に出たシテと向き合って一声。ツレ二の句、二人の謡いと続き、アシライで竿を下ろすと舞台へ進みます。ツレは左手、シテは右手に竿を持ち、舞台に入るときツレは後見に竿を渡して角へ出ます。シテは竿を持ったまま大宮の前に立ち、これに合わせるようにワキが立ち上がって言葉をかけます。

謡本にはアシライの後に、シテのサシ、シテツレの謡、下歌、上歌と続きますが、ここは省略されてワキの詞。
この浦の者かと問うワキに、シテはワキを向き、自分はこの浦の者で、毎日この島に上り山上山下岩窟社々を清めていると答えます。そしてワキにどこから来た者かと問い、ワキが勅命により島が湧出した子細を尋ね来たので子細を語るようにと求めると、正面に向き直って島湧出の様子を語り出します。

欽明天皇十三年、卯月十二日戌の刻から二十三日辰の刻まで震動が続くと、天女が雲上に現れ童子が左右に侍った。諸天、龍神など様々に現れて、雲上よりは盤石が下り、海底より塊砂が吹き出した・・・と語り始め、ツレと交互に謡を進めて、やがて海上に一つの島が現れて江野島と名づけられた子細を語ります。

ワキはこれを聞いて、これは明君の御代の證しとし、さらにこの島の鎮守はいかなる御神かと問います。シテは、諸神まします中にも龍の口の明神は天部と夫婦の神であり、崇めてもなおあまりあると答え、シテ、ワキ掛け合いから地謡へと続きます。
地謡でワキはワキ座へ、ツレは地謡前に着座し、「善神は一切の福を授け」でシテは角に出て左へと廻り、「天部の誓ひなるとかや 頼めなほ隔てなき 真如の玉も曇らじ」と謡う地謡に、常座からワキを見てサシ込、開キます。
ワキが、なお江野島にはめでたき子細があろうから、残さず語って欲しいと言い、シテは宮の前に下居すると、地謡のクリで肩上げを下ろし、扇を出して構えます。

ここから龍の口の明神の由来が語られるのですが、先の江野島湧出の子細だけでも相応の長さがあるため、前場がかなり長くなっています。
地謡のクリからシテのサシ、そしてクセへと続くあたりはまた明日に
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江野島 中森貫太(能を知る会横浜公演)

観世流 横浜能楽堂 2019.11.21
 シテ 中森貫太
  漁夫 桑田貴志、辯才天 永島充、十五童子 宮坂唐 宮坂耀
  ワキ 森常好
  ワキツレ 舘田善博 則久英志
  アイ 中村修一
   大鼓 安福光雄、小鼓 幸正昭
   太鼓 林雄一郎、笛 藤田貴覚

江野島もあまり出ない曲で、例の観世流演能統計では輪蔵や飛雲と並んで、平成21年までの60年間に20回の上演、188位となっています。飛雲は宝生や金剛、喜多の各流でも現行曲にしているので、観世以外でも観る機会はありますが、輪蔵や本曲は観世流のみの曲なので、いよいよ観る機会が少ない一番です。
実は、この江野島と12月に観た大社はいずれも初見なのですが、観世銕之丞さんの上演を見逃したという意味でも共通です。江野島は平成28年に銕仙会定期公演で導者の小書付で上演されました。大社は平成24年に国立能楽堂で上演されていますが、いずれも欠席できない会社のイベントと重なってしまい、やむなく断念したものです。昨年、奇しくもこの二番を観ることができたのは、会社を移ったおかげかなどと、なんだか不思議な感じがしています。

ともかくもこの江野島、脇能としては長大な曲で、しかも子方が二人必要だったり登場人物も多く、おそらくはそのあたりが遠い曲になっている理由かと思います。今回は詞章の一部が省略されたりなどで、100分を切る上演でしたが、国立能楽堂の記録では浅見真州さんがなさった時で117分。銕仙会公演での導者の小書付では2時間半近くかかった様子です。
それでは舞台の様子を順に書き記していこうと思います。

地謡、囃子方が着座すると、後見が一畳台を運び出してきて大小前に据えます。さらに紺地の引廻し、朱屋根の大宮が出されて一畳台の上に据えられました。
舞台が落ち着くと真ノ次第が奏されて、ワキ一行の登場です。
褐色に金で亀甲文様の袷狩衣、白大口に風折烏帽子の大臣ワキが先に進み、いわゆる赤大臣のワキツレ二人、朱地の狩衣に白大口、風折烏帽子で続き、舞台に入ると向き合っての次第。
三遍返しの次第を謡い終えると型通りにワキツレが下居、ワキが欽明天皇に仕える臣下と名乗ります。相模国、江野という浦に卯月十日、不思議の奇瑞様々あって島が湧出したので急ぎ見てこいとの勅を受けて、東海道を下向するところと述べます。
これを受けて道行。
東路を進み、鳰乃海を過ぎ、富士の高嶺に月影を見つつ相模国やって来たと謡い、ワキの着きゼリフ。人を待って事の由を聞こうと言い、ワキツレが然るべう候と受けて一同はワキ座に着座します。
さてこのつづきはまた明日に
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融 十三段之舞 浅見慈一(代々木果迢会)

観世流 代々木能舞台 2019.09.14
 シテ 浅見慈一
  ワキ 宝生欣哉
  アイ 山本則重
   大鼓 佃良勝、小鼓 大倉源次郎
   太鼓 梶谷英樹、笛 一噌幸弘

この会はメモを取っていませんし、ブログで何度も取り上げている「融」ですので、鑑賞記を省略しようかと思ったのですが、初めて足を踏み入れた代々木能舞台の不思議な空間の思い出を少しばかり書いてみようと思った次第です。

代々木果迢会という名を耳にしたのは、たぶん十五、六年前。銕仙会の青山能を観に行った時に、開場前で研修所の入口に並んでいると「私たちは、かちょうかいから来まして・・・」と高齢の女性たちから声をかけられた時が初めてだと思うのです。「かちょうかい? 何それ?」と思ったものの、そこは適当に流したように思います。その時は慈一さんの鵺を観ていたく感動し、ぜひまたこの方の能を観てみようと思った記憶があります。

さてその「かちょうかい」、慈一さんの父君である故浅見真高さんが名づけられたのだそうで、能には果てがないという世阿弥の言葉から「果ては迢(はる)か」の意味を持たせたとのこと。
代々木能舞台にて定期公演を年に四度ほど行っているのですが、平日の夕刻でもあり、これまでは拝見する機会がありませんでした。

今回、慈一さんの十三段という番組、仕事も都合がつきそうだったので、思い立って夕暮の代々木能舞台を訪れました。都会はまだまだ暑い時刻ですが、中庭には蝋燭がガラスの器に入れられて点々と置かれ、開演の頃にはそよ風も吹いてきて、なんとも典雅な雰囲気となりました。

以前、慈一さんの叔父さんにあたる浅見真州さんの融十三段を観ていますが、その時の印象があまりに素晴らしくて、その後、十三段之舞の小書を観る気になれないでいました。融の小書としては最高峰と思うのですが、それだけにがっかりしたくないというのがホンネです。今回は浅見慈一さんがなさるというので、それならばと思い立った訳で、さてどうなのだろうと思いつつ舞台を観ておりました。

前場「や、月こそ出でて候へ」の声に、月の出が感じられ期待が高まります。
そして後場の十三段之舞。ああ観に来て良かった。見所全体が舞に引き込まれているのが感じられます。「名残惜しの面影」と、立ち上がったワキとともに、見所も幕に入る融の大臣の姿を追いかけてしまった一番。帰り道でも興奮さめやらぬ方々の声を聞きながら、駅へと向かいました。

今年3月には、代々木能舞台の創建七十年を記念するとともに、故眞高さんの一周忌追善公演があります。慈一さんが安宅をされる様子。この日は都合あって観に行けませんが、盛会をお祈りしています。
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